『真実の宗教とは 6』
例えばここに真理と言う一本の桜の木があったとする!
その中心はひとつの幹である!
その幹を大本として沢山の枝があ
る!
幹が真理であり、枝はみな一つ一つの宗教とする!
その枝は幹と一つにして成り立つのである。
されば枝は本来みな同じ真理のもとに存在しているのである!
ゆえに同じ花をつけ咲かせて、葉をつけ成長してゆくのである!
冬の枯らした枝に春の芽を育て、春、花と咲かせて、自然を彩り、人々を喜ばして喜び、自らを成長させるのである。
ひとは冬の厚着を脱いで、軽く明るい衣に変えるのである!
この姿を春の彼岸と教え、此岸から彼岸と生まれる道を教えているのである。
この桜が見せる彼岸と渡り至る教えもまた宗教の教えなのである。
迷いの岸から覚め悟りへと至る道がそのまま教えてくれているのである。
幹を真理と例える教えに戻ろう!
幹、真理は中心の大本に一つである!
枝はどんなに沢山あろうと、みな同じ幹に一つであり、幹を離れては存在しないのである!
その枝どうしが、私達の宗教が正しく他は邪教であるとか、悪教であるとか、地獄に落ちる世界だとか、魔の法だとかといろいろ言いあい、互いに差別、対立を繰りかえしている!
果ては神の御名をつかいて、戦争まで発展させて、奪いあい、盗みあい、傷つけあい、殺しあい、破壊の数々を生んで正義と思っている!
宗教は本来覚めた明るく幸せの世界をつくり、平和なる世界を完成する為にあるなり!
無知で無明の人々に、真理に添った真実の智慧と道を与える為に全ての命のあり方、命の目指す道、その命の至る道、それらを教えて真の命に気づかせ、闇から光へと帰す為にあるなり!
人々が気づかず、知り得ぬ命の内とある神秘不可思議なる真理世界の導き世界が実と存在している事は、ただそこと開き至らずしては人には知りえないのである。
ゆえに自らの内なる心の扉、命の庫と開いて、実なる道を開いて、悟り世界に実なる開眼を得なさいと言うのである。
そこにおいて真実の智慧を修し、真実の神の存在を知り、真の宗教を知りなさいと言うのである。
よく考えなさい!
物を高く買わして、商売の如くなす神が存在しますか!
献金とか、多額の布施を請求する神がいますか!
対立させ、争わす神がいますか!
神は人に、汝、人が人を殺すなと不殺生を教えているのですよ!
誤つ権力者、指導者に騙されてはならない!
その者達は、道も真の悟りも知らないのであるから。
一切衆生に仏性あり、神性あり!
その教えを信じて、真の悟り開眼を得なさい!
天はその覚めと開眼を祝いて祝福の天雨を与えてくれるのであるから。
真理の幹は一つであり、そこと覚めて全てが一と調和する!
そこにおいて全てはおさまるのであるから。
宗教がひとつに調和すれば、平和世界は成るのであるから。
『平和とは平等大調和と言うなり!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌