一隅を照らす者 | 太陽王法の会


『一隅を照す者!』


学論をもって名と立つは国宝に非ず!

処々一隅を照すがすなわちこれ国宝なり。

百匹の羊ありて、九十九匹の迷わぬ羊と光をあてるより、その迷いたる一匹と光これをあてるは、聖道の真なりて、賢聖の体とは示すなり。

処々一隅を照する人あるは、これ国の宝なり。

一隅の迷これを忘れて、光明の下ばかり好むは、真の道者に非ずなり。  

目立たぬところで人を助け、救っている人こそ国の宝にして、こういう人が沢山満ちる事が、天下大平の国の相とは言うなり。

名ばかり求めて、一隅を照すを忘れている人など、真の国宝などとは申せぬなり。

一道に住して目立たず、その道に光これを生みゆく人をまた、真の国宝これと言うなり。

その光こそがやがて万界と満ちて、真の命を生みゆくなり。   

一と冥して隅を照すに、迷の世界のなくなるなり。

みな中道と帰れば、大悟の海と満つるなり。

されば、一と冥して一隅を照す人こそ、育てず世界のならぬなり!

教育とは、そのような人々を育てる事に尽きるなり。

天意をもって生まれ、一隅を照す天使達のあるを見るはこれ、賢者の眼なり!

病みをおいて生じ、心と笑顔これをもって人々の心を照すはこれなり。

そのような人こそ、国宝なるに、大切なせと示すなり。

闇と迷う悪人迷者、無知無明の者にとって一番必要なるは、その闇を破る光これなり。

これ照らさずして、どこを照すと言うなり。

神仏は、そこにこそ、光を与うと知る事なり。

暗き闇は光に破られて驚覚なすもゆえに、救いの妙と教えるなり。

『師厳しきがゆえに道また尊し!

道尊しゆえにこそ師またこれ、厳しきなり。

その道厳しきがゆえに、その道尊し!

その道尊きがゆえに、その道また厳しきなり!』


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌