『中有と霊魂!』
仏法に四有これあり!
即ち、生有・本有・死有・中有これなり。
生有これ、生まれる刹那の有これなり。
生まれてから死ぬまでをこれ本有と言うなり。
死の刹那を死有と申し、死んでから次の生を得るまでを中有と言うなり。
されば仏法者よ聞く事なり!
仏法者の中に霊魂や、霊の存在を示し申する神の行者、神の使い、宗道者に対して、その教えを邪と申して、それがあると言うなら(霊魂存在)出して見ろなどと申する者達のあるに、これを示すと申するなり。
死んで肉体とともに心、魂も滅するならば、中有の命の有とはなんの姿と申すなり。
その肉体、火葬されて滅するに、その中有の有とはなんの命と申すなり!
仏、霊や目に見えぬものを説きても人に解せぬに、これをあえて説かぬと言うなり。
しかるに、それを否定なすには非ずなり。
前生も、今生も、来生も、全て教えて輪廻の命を教えるなり。
前生の業の報いも説きて、来生の悪趣、善趣、ともに示すと知る事なり。
この中有とは、死有を超えて帰る命の道の体なるに、その世界のあるを教えると知る事なり。
その世界あらずば、仏の教えは妄となるとは申すなり。
ゆえに仏者において仏が、ハッキリと説かなくとも、その世界の存在と、その道を説くを覚めば死後の世界の否定は誤つ事と知る事なり。
霊の存在、実と存在なすも、至らぬ者には解せぬなり。
解せぬだけで、これを否定なして謗し、害する事はやめる事なり!
中有の命実と有るゆえに、生有の命がめぐるなり。
しかるに、その命と大覚なして、神仏と至るは、そこより不死の命と入るなり。
仏も神人もこれをめざして道を成すとは知る事なり。
この世だけを命の道と申すは迷者の言と知る事なり。
命とは偉大にして大の世界と知る事なり。
ゆえに人よ、今のその命を正と覚めて、生みゆく事を知る事なり。
全ては真の命を生み育てて完成なして、生まれる為に、生を生きると知る事なり。
今のその現在を大切にして、人間完成、人格完成し、命となすを知る事なり。
それをこそ命の道と教えるなり。
今世のみと思いて、好き勝手に生きれば、その報い、必ずなるを忘れてならぬと教えるなり。
全ての道は、ただその命を命と生ましめ、生みゆく為に与えられをれるを早く覚めて道と入れと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌