政治家の愚論 | 太陽王法の会


『政治家の愚論!』


政治家が何かあるたびに意味なき愚論と繰り返すも、これ枝葉の論これなり。

この枝葉枯れて折れたりして、一道正のならぬなり。

しかるに、政治という二字一言の根本、本道本義の道理と知りて、それを一義の幹と覚めば、愚かな相の生ぜぬなり。

政治家が政治を知らずして、なんの家とは言うなり。

政治の政とは、そこにそのまま示し教えると知る事なり。

政は正+攵へんなりて、正とは、正しい事なりて、真実、まこと、道理とこれを教えるなり!

すなわち、正しからざるはこれに非ずして、これ真と示せば、真理真実の一と止どめ、一と歩むをこそ正と示すと知る事なり。

しかるに攵とは、教鞭の棒にしてこれ、めぐらして一と合わせる体と教えるなり。

すなわち、正道とめぐらして一切を一と合わせるが『政』これなりて、邪道、悪道と正して払いゆくのが、政これなり。

『攵』とは、伝授を示し、正しく教えるのと、正しく戒めるを示して、正とめぐらし一と合わせる体と示して、正をめぐらし、悪を払う真を示すに、これを命の政事(まつりごと)とは教えるなり。

これそのまま、天地の政事にして命の政事なるに、これゆえに、全ての命は正しく治まりゆくと教えるなり。

すなわち、この政を知らずして、治とはならぬと言うなり。

『治』とは、おさむる事なりて、水の台と示して、台の中に、水を正しくおさめる事を示すなり!

この水とは、智水天水なりて、台とは、地にして、国にして、命にして、人とはこれを示すなり。

すなわち、その一切の台と真実なる智水天水をおさめるに、全ての命の治まるなり。

台とは、結びてひとつになすと示すは、文字の如くと申すなり。

一切を結びて一と成す大調和こそ、これを示すと知る事なり!

しかるに、全ては悉く治まりゆくと教えるなり。

しかるに、政のまつり知らずして政治のなるは叶わぬなり!

政はゆえに正にして、清にして、整にして、聖とならずば、真はなせぬと知る事なり。

正しく、清らかにして、整い、聖道の治を行う事こそ政の命と知る事なり。

しかるに、正と攵(あわせる)事のできぬ者を政治家となすに、国も法も、命も治まる事のあらずなり。

そのような者達が、枝葉の愚論をいかように申しても、この本義本道の幹を知らずして、政治家とは申せぬ事を知る事なり。

この政ならぬ者ならば、政治家とはならぬゆえに、それを正し、やめさせるも当然なると知る事なり。

名体一味と申して政治家が政治家とならずば、政治家ではないゆえに、それはそれにして、それに非ずと申すなり。

みな、この幹本道を忘れて、枝葉の論と重ねて迷と生きると知る事なり。

人みな命を生きるに、命正道を忘れて、地獄悪趣と落ちゆくは、哀れな姿と言うなり。

そこここで天道をなすは、命の務めにして道なるに、人はまず、命と言うもの、自分を知れと言うなり。

金や、権力に迷いて命を失いゆく人ばかりにして哀れの極みと示すなり!

ゆえに、みなよく本義正道と覚めかえりて、枝葉の愚論を去りて、まず幹の大道こそ覚めかえれと言うなり。

すなわち、根本の道理こそもう一度よくと学べと言うなり。

一字一言読めずして真の命はつくれぬなり!

されば、命を滅すると知る事なり。

みな、悪趣迷道を去りて、天道、真の命道一と帰せとは教えるなり。

『枝葉の論に迷せず、枝葉の教えに迷せず、源点の教えに依りて帰るべし!

心と襟を正して、幹たる本源の教えにこそ依らずしては、全ては迷とは落ちるなり。

ゆえに源点に帰せと示すなり!』

真の人間なら覚めよ!


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌