本尊 | 太陽王法の会


『本尊!』


古代エジプトに太陽神アメン神あり!

その神殿は三千五百年前に生まれるなり。

このアメンの義こそ、キリスト教のア一メンの大義となるなり。

ゆえに太陽を主(ア)とせずしてキリスト教はまた極まる事の非ずなり。

キリスト教聖書の天地創造もゆえに妄教となると言うなり。

太陽が主にして、その太陽の主ゆえに、この地球天地も生まれた事を知る事なり。

その太陽大日の『ア』と一如となす大義、ア一メンをゆえに覚め気づけと言うなり。

汝等の本尊もまた太陽大日なのであるから。

ヤハウェ神の示す一眼の目はその理をこそ示していると知る事なり。

太陽たる主を否定して軽んずれば、ヤハウェ神もまたそこより地とは落ちると知る事なり。

ヤハウェ神の本尊こそ太陽たる大日なると示すなり。

ヤハウェ神は古来より、それをこそ教え示すと申すなり。

ヤハウェ神の示す真理へと至る印、円輪の中に上(天・太陽)から示す三角と、下から天を目指す三角(神と至る自己)を示して、その中央中心示す一眼の目がそれを教えると知る事なり。

すなわち、太陽とひとつに至りた自己を示して、神と至り生まれた印をあらわし、一眼の目は、相対を超えた一義の意をこそ教えるなり。

すなわち、太陽神一如と生まれた事を印に示して教えているなり。

これが理解できないから、そこにある導師も信徒も、全ての一がわからず愚かにして哀れな宗教対立を繰り返し迷いの中に苦しむなり。

よいかな、主とは『ア』である!

ゆえに、ア(主)と一如と祈るメン(汝等衆生)の一なる道を教えるなり。

胸の前で切る十字は、ア(主)たる太陽と立てに一となし、横に一と切りてメン(自己)となして生まれる大義を教えるなり。

その十字架と一如を示すイエスは、太陽神たる主とひとつに至りた形となして、真理への道を示すなり。

すなわち、太陽(ア・主)と一如と至る悟りの道と命の至るべき教えをそこに示すと知る事なり。

『ア』が主なるは、メシアの事でも知る事なり!

救世主とはメシアと言うなり。

メシ一が救世であり、その『ア』が主である!

その『ア』が太陽大日であり、メンは一切の世界であり、一切の衆生であり、汝等一人一人の命である。

大いなる神は、愛をして全てに道と教えを与えくれると知る事なり。

アラ一神の『ア』も太陽主にして、ラ一とは全ての連ねる一切世界と一切衆生を教えて、アラ一と示すなり。

月の神ラ一が『ア・太陽』と一如と至りてアラ一と成って生まれたのであり、その姿はインドの月氏釈迦が太陽たる大日如来と一如と生まれて、毘盧遮那遍一切處と生まれたのと同じである。

それはみな真理へと悟り至りて道て完成した者を教えているなり。

この真実は実と一人一人が自らの内なる蔵と開き真実と至らずしては理解できぬなり。

私はその全てを悟り知るゆえに、太陽の法嗣と生まれ帰りて、こうして全てに教え与うと知る事なり。

私はただ『あ』をして、全てを広大無辺と説いて、それを証と示すと知る事なり。

一人一人みな本来尊い命、ゆえにその命の扉と開いて、そこと修し至れと教えるなり。

オ一ン・アビラウンケン!

(太陽たる大神、
マハ一ヴィローチャナは偉大なり!

古代ギリシャにも太陽神をしめして、ラ一と言うなり。

そのラ一は本来月神にして、そのラ一がア(主)と一如となりて、これをアラ一神と言う太陽神と言うなり!)


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌