『苦もまた師と聞く!6』
友よ、例えば湖が自らの自浄作用の力を失ったらどうなるであろうか!
その湖はその命を失いゆくのであり、死の湖となるなり。
例えば、海が自浄作用を失ったら、そこに生命を育て生かす事はできなくなり、死にたる海と変わるなり。
この天地またよくその理と見つめて一と見よとは示すなり。
この地球天地にある自浄作用が狂えば、その内にある命が全て影響なすと知る事なり。
この道理、自らの命に写して正しく見よと示すなり。
肉体に自浄作用ありて治癒力のまたなりゆくなり。
これを弱めれば、治癒力と低下なすとは知る事なり。
これを命とよく見て知る事こそ人はまた大切なると示すなり。
ゆえに、その力を強めるため、自らもまた、命の清め、それをなして生きよと言うなり。
そこにおいて一番大切なのは、心とこれを知る事なり。
心正して、心覚めて、正しく命と生きる事こそが肝心なると教えるなり。
ゆえに諸仏はただ、『諸々の善を行い、諸々の悪を行いなす事なかれ!自らその心をこそ清めよ!』とは教えるなり。
行い正して善と生き、その自らの心と清めるをなすに、生命の自浄作用の働きて、その治癒力も大きくつくと知る事なり。
すなわち、悪心に染まりて、悪業ばかりなして、肉体を粗末にして、その心を汚し続けて生きるならば、自浄作用と働くも、しだいにその力は弱まりて病みの命となりゆくなり。
すなわち、天地大自然と生命にあるこの原理をよく見つめて、その命のゆくところを知り、覚め生きよと教えるなり。
自ら、苦をつかまえて執着して離さないから、その苦もまた離れぬなり。
自らで自らを苦しめる自らのすがたを気づいて、その執着こそ棄てて生きよと示すなり。
ゆえに仮有にして空なる真を見よとは教えるなり。
自分を苦しめているのは、誰でもなく、自分であると知る事なり。
自分の心が、自分の命が苦しんでいるなら、その自分を苦しめているのも、自分以外のなにものでも無きと知る事なり。
されば、自分で自分を苦しめる因縁こそ気づき捨てよと言うなり。
よくその命と正して、その迷いより脱けて生きよと教えるなり。
自分に自分がなぜ苦しめられるのか、その因縁を自分がつくるからである。
その因縁を捨てれば、それも生まれる事は無いのである。
ゆえに、自分で自分を苦しめるその迷いこそ早く気づけと言うなり。
自分を苦しめているのは、自分自身なのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌