『苦もまた師と聞く!4』
苦しむ者のあると言う事は、苦しめる者のまたそこにあるなり。
なにも無いところからは、なにも生まれず、その因縁あるゆえにみなこれ生起するなり。
全て苦と言い、この世は苦と言うならば誤ちなり!
苦しめる為にその命は創造され、苦しめる為に生み出された事になるがゆえなり。
その苦また命の為、道の為になくてはならない道ともこれを知る事なり。
夜明け(覚め)の前の一番闇き相を知る事なり。
春(覚め)と生むに冬のある事を知る事なり!
雪と清めた大地の下に、春の命が息づく事も知る事なり。
苦は時に人を守り、人を正しい道へと帰す。
苦は人にその誤ちを気づかしめて、そこより脱けるを教える。
苦はまたよく人を育て、大きく成長させる命の親ともなりゆくなり。
苦はゆえにまた、命をその誤ちより止どめつつ、守り、戒め、育てて、生みゆくものと知る事なり。
友よ、汝達を大きく育てる為それはあるとは知る事なり。
友よ、汝達を守り、正しく生かしめんが為、それはあるとは知る事なり。
ゆえにその荷ないた苦が、自らをまた育てる親と気づいて、それを乗りこえ、真実の命と大きく成長なせと示すなり。
真実の命と生まれかえりて、そこに生まれゆけとは言うなり。
全ては汝達の命を正とかえし、天と帰すのが目的なると示すなり。
苦と脱ける事は、自己と覚める事である。
自己と覚めて正しくゆけば、苦はあって無いのであるから。
そこに苦の形と生じても、それは汝を更に大きく成長させる為の道なり!
されば、春と育てる冬の如く、秋と成長させる夏の如く、それをこえて、命を生めと教えるなり。
真実の命はそこにおいて生まれゆくとは示すなり。
生まれるべき命、生まれ帰るべき命、決して忘れてならぬと示すなり。
苦自身が一番に、その苦と脱けせしめたいのである。
苦はゆえに、その迷いより脱け、その命を正しく生みゆく事をこそ一番に願っているのである。
ゆえに、それをして止どめ、教え、知らしめるのである。
しかるに、その苦と気づいて正しく向かい合えば、苦は、苦のままにしておく事はないのであり、それを自ら脱いでゆくのである。
この命の妙と気づいて、命を知れと教えるなり。
苦があると言う事は、苦の原因がある事これなり。
全てが苦ならば、全てが苦の原因となるなり!
苦しむ者が生まれると言う事は、苦しめる者がそこに存在すると言う事にして、生命はただ苦しめられる為に、生み出された事になるなり。
さればその命を生みた創造主たる神は、神に非ずして、悪魔になるなり!
このような片寄りた考えは、ゆえに正に非ず!
全ては中道本際をして見るがこれ正しきなり。
苦とは、苦楽の一方にして、一方を離れて一方の無きに、全て苦などと言うは、この中道に反して、正に非ずと示すなり。
ゆえに苦は苦として、もっと深く、正しく命と読めと教えるなり。
苦を見るに、苦あるは、苦の原因あると見て、その原因こそ断つが、正しき道と示すなり。
生老病死とて命の為の道と知れば、命を命となす為の道とはこれと気づくなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌