『仏陀の悟りの境界!2』
衆生よ、仏陀は法界法身一如と冥合し、宇宙即我の境界と実と神秘命道なして悟りを得たのであり、梵我一如、梵神一体もまた同じなる成道これと申すなり!
すなわち、宇宙真理たる主なる神と成道し、境地冥合なして一体一如と大覚なすのが、一乗仏、一神教の極の究竟と申すなり!
ともにこれ、宇宙即我の境界と真理の命を内と開いて至りた事を教えるなり。
されば、衆生よ聞く事なり!
この一義一実と至りて宇宙即我と大覚なしたる神人、仏陀にして、その大いなる一を分けて対立すれば、それはみな妄にして嘘と変わるなり!
宗教の一々の人々はこれをよくと聞きよく道理を見なさい!
宇宙即我の境界と申してその一神、一仏の境界と実と大覚なしたる者が、なにゆえ一々の宗教、宗門を分けて対立せしむる事をなしゆくなり!
それでは、宇宙法身の一なる境界とは真にあらずとなりゆくなり!
宇宙即我の大覚大悟の境界ならば、その大いなる一に全てを乗せるは道理なり!
ゆえにこれを、一乗仏の一乗と示して、一に全てを乗せるなり!
ゆえにこれをまた真実の大乗と教えて、一切を大と乗せると教えるなり。
大とは、一大にして一人なるに、宇宙即我の大いなる境界に全てを乗せて一となすに、それを第一義諦、無上大覚、真諦真実の宇宙即我の境界これと証せるなり。
この境界を真理たる神との一体一如を示して、一神教の大覚成道成身の極みとこれを教えるなり。
この一義の一に変わりの無きと言えるなり。
それを神と神、神と仏とを対立せしめ、二義と分断対立なすならば、そこにおいて一の道理は崩れるなり!
この一神の一と、一乗仏の一とが、一即一となりてこそ、ともに真の一義の境の成りゆく
なり。
宗教において神と神を分けて対立せしめ、我等が宗教のみが真実の一神教と申すに、全てみな真実と反すると知る事なり。
真の宇宙真理たる一神ならば、一即全であり、その一の内には全ての宗教も、天地大自然も、世界も一と含まずしてはその境界の大覚は実とならぬと知る事なり。
ゆえに宗教を対立している以上、その神は、真の一神の一義の一にあらずなり。
全ての対立を無くして全てが、一相にして、一味、一法、一道なると悟り覚して、無上等正覚の全の一にして、真実の一とならずば一神これとは申せぬなり。
ただ、一と示し申するところの真理をして、真の一神これと申するなり!
されば、全てを包みて一となせずにはそれとならぬと知る事なり。
一仏乗大覚においても、この第一義諦の境界と成道なすを示すに、この一と証せずして、なんの第一義諦とこれを申せるなり!
仏と仏を対立せしめては、真の一とはならぬと知る事なり!
仏と神とを対立せしめても一とはならぬと知る事なり。
ゆえに、真実真諦の宇宙即我の成道成身の大覚の境界とは、真諦第一義諦の一にして、全とはこれを教えるなり。
宗教宗門の全て、神仏の全て、天地自然世界の全てみな一となしてこそ、真の一神これと証せるなり!
真の一乗仏これの証せるなり。
すなわち一切の中に真理を見て悟り全てを一とあらわしめて大統合なせずして真の一なる一のならずなり!
大調和をなせずして真の一なる大悟大覚これのならぬなり。
されば衆生よ、宗教において対立なす宗教は全て、今だ至らぬ証となりゆくなり!
大日如来はこの真実の一をこそ教え証して、これを示すと知る事なり!
また私も、これと証して全てに教えると知る事なり。
衆生はこの道理こそよくと知れとは言うなり!
真理とは真にして真実なる道理とこれを知る事なり。
一と申して一とならぬに、宇宙即我の境界と申すは、妄言にして偽り、実と至らぬ証と知る事なり。
衆生よ、これをさらにやさしく示せば、例えば、レコードプレイヤーと言う法界があるとすれば、その法界に、百千万億というレコードを乗せても、全ては一と示すなり!
レコード自体は一々なれどその法界に乗りてみな命を得るなり!
宇宙即我とは、このように全てを乗せても一となすとは知る事なり。
例えば、念仏を乗せても、題目を乗せても、真言を乗せても、神呪を乗せても、禅法を乗せても、万経、万典、万教、万宗を乗せても、一となすとは示すなり!
すなわち全てをその一と乗せ得る法身をこそ『宗諦』の第一義諦の真実なると教えるなり。
『宗』と言う真実の一義一実の法身なるに、全てを一と乗せて一々の教と奏でて転ずるものと示すなり!
その道はみな一道にしていたる頂はなんら変わらぬものと教えるなり。
神(真理)とはかくの如くして、仏教も、キリスト教も、イスラ一ム教も、ヒンドゥ一教も、ユダヤ教も、神道も、全ての宗教も、みな一と乗せて一と証すと知る事なり!
みなみな全て一と帰すと知る事なり!
ここと理解できず、至れずして、なんの真実なる宇宙即我、真諦大覚の仏陀、神と悟り至りた者と申せるなり!
衆生よ、この道理こそよくと聞きなさい!
衆生よまた、天下世界に花が種々ありて万花となろうが、みな真理において一道なると知る事なり!
牡丹も、蓮華も、菊も、桜も、コスモスも、梅も、花の全てはみな一にして、一と包みてなすが、真理の一と申せるなり!
その花と花を分けて一々が我のみ真理、我のみ尊しと申したら、謗法にして妄となるとは知る事なり。
宗教は、この道理を知らずして、みな無知と迷いて互いに争いこの世に地獄を生みゆくなり!
宗教戦争など、その一番の無知大愚の相と教えるなり。
すなわちみな、ただ一字たる『宗』の真の意味と道理たる一義の一が解せぬなり!
この一字さえ読めずと、宗の教え、宗教と申するに、無知無明おかしな事と知る事なり。
ゆえに私は、大日としてその真実の一を説き示し教えて、真の一を証して全ての迷、闇命を破ると知る事なり。
すなわち私はその為に時にはきつき釈を説き示して、その無知無明の闇をやぶり、謗法を正と正すと知る事なり。
そは全ての迷いを破りて宗教対立と言う最も哀れにして不幸なる因縁を断ち切りて、全てに今だかって説かれた事のない未曾有の教えを説き与えて、全てを未曾有の悟りと入れると知る事なり。
それが、私と私の本地たる太陽の心とこれを知る事なり。
万花(宗)みな太陽と一となすように、みな実と覚めて一なる一と帰りて実と覚し悟れと教えるなり。
されば、地球国と言う天地一国は本来の正しい一と帰ると知る事なり。
(一つの囲いの中の玉、それが天地地球と言う国の文字なり!
丸い地球これが、完成された国の意味なり!
世界を分けてバラバラに各々国と申すはこの当たり前さえ知らぬ無知無明の証なり!
この一を覚めて全てが一とかえり調和するのが、真の国の完成これなり。
そこに大いなる悟りの極めがあるなり!)
全てよ、早く覚めよ。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌