『仏陀の悟りの境界!1』
仏陀の最無上の悟りを宇宙即我の実なる大覚これと示すなり。
これただの論理、教理のみの実得にあらずして、大神秘神妙大不可思議をして真実の冥合を一と成す事を教えるなり。
この大不思議にして大神秘大奇瑞はそこと実と体験至らずして真意真実は解せるものにあらずなり。
実と命道一味成道なすにそれの実と命にあらわれ生ずるなり。
古来、禅定、瞑想等をもって修するも、その真実の成道開示の道こそを目指すなり!
梵我一如も、神人一体も、瑜伽一体もみな、これを目指して励むなり。
すなわち、大いなる真理との一体冥合の体得なりて、宇宙即我の成道実得もそこにおいて生ずと知る事なり。
これが釈迦の始めの成道開示、悟りの初とは教えるなり。
これ大神秘真実なるも、人に語りても到底理解なせぬなり。
ゆえにみな自ら至りて知れと言うなり。
禅の申す不立文字もこの境をこそ言うなり!
離言説の境地も実と至らずして、実得なすは不可能なり!
この大神秘を自らの一命と冥道なすに、その大神通を得るとも教えるなり。
そこにおいて入我我入なして、三密加持、と言うなり!
修道となすに、真のその道極まるなり。
そこにおいて段々に修して不退転と精進なして智慧と極め尽くして至るところを、無上等正覚、第一義の処とは言うなり。
すなわち宇宙即我一印の大日如来の成身完成なると教えるなり。
この道また広大にして無尽無辺なるに、実と至らずして難解とこれを示すなり。
真実の一義を極めるは絶対の一を極める事なりて、そこにおいて分断対立の一切は滅しゆくのは当然なり!
これが解らず、真実と至れずして、真の一乗一神大覚と完成なすは不可能なると教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌