心にこそ写せ | 太陽王法の会


『心にこそ写せ!』


人はその手が泥と汚れれば、すぐに洗い清めて正とかえすのである。

されば心もかくと成す事である。

その身体や衣服が汚れて塵垢にまみれていたならば、人はそれを取り替えて洗い清めるのである!

されば命の命たる心もかくと成すを知る事である。

人よ、貴方のまわりが、塵芥と散らかって汚れていたならば、貴方は掃き清めて一つにまとめて、あるいは捨て、あるいは焼きて滅するのである。

されば命たる心もそうする事である。

部屋の窓が泥と埃で曇りて見えぬ時、人はそれを拭き磨きて綺麗にしてサッパリとすると知る事である。

されば心もかくとなしてサッパリせよと言うのである。

人は常日頃そのようになしている自分達の生活を見つめ生きているのである!

さればその全てが貴方に対して心、命を教えていると覚めて、その命に合わせ生きる事である。

されば常に命はサッパリとして気持ちよく曇りなく、明るく清らかにして物事をよく見える命と生まれるのである。

その当たり前の中にこそ苦より離れる道も示されるのである。

全ては、ただ貴方一人に教える命の教えと聞くことであり、そのゆえに見えなかったものがよく見え、聞こえなかった声が聞こえて、命も安定し正と定まるのである。

大地の如く全てを支え、天空青空の如く全てを包み、太陽光明の如く全てに光を与えて命を生きなさい!

それが命の真なる道これだからである。

月の如くに闇を照らし、夜の闇と汚れを祓い清める!

光明の朝の如くにその命を生き、その眠りを覚まして目覚めを得、虚仮無常なる幻に執着せずして真実なる命を生きる、太陽をめぐりめぐる惑星の命より、太陽と生まれて生きて全ての光となる!

全てそこにありてその一命の教えこれを示すのである!

さればよく全ての中にそれを見て、その心にこそ正しく写せと言うのである。

『水これを求めるに井戸これを掘るなり!

水常とあれば井戸をもって何とはせん、道求めるに道これを修するなり!

真理と不死これを欲さざれば、何をもって道これを修さん、欲もし全て無からんには、何者かを訪ね求めん!

すなわち正なる欲において求めるはこれ、道に即して正しきなり!』

『楽受これを受けて執し酔いしれ逸脱するは是れと非らざる衆生なり!

楽受これを受けて執し酔いしれ逸脱する事無きは道と住する衆生なり!

苦受これを受けて混迷を脱けずと、第二、第三の矢これを受けるは是れ、道と修するに非ざる衆生なり。

苦受これを受けて混迷に至らずして、第二、第三の矢これを受けずは、道と修し住する衆生これなり。

楽受これを受けて執し迷いて酔いしれ、逸脱し、苦受とむかえる!

苦受これを受けて滅し脱けるを知らずと第二、第三の矢と受けて混迷するは衆生なり!

この衆生よく法と修して道と入らば、これと解脱するなり。

快楽に偏し、諸々の欲望に執し、愛着するは下劣なり!

是れ卑しくかつ無益なりて迷いの凡夫の所行なり!

禁欲に偏し執して苦行を事とするは、また正道に非ずして無益これなり!

この二つの極端な立場を捨てて、中道を悟る事こそが道と至る正しい体なり!

仏陀 はただ否定を教えるのではなく、中道の真実を教え、中道より真実を見て悟る道こそを教えるなり!』


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌