人間の生きる道2 | 太陽王法の会


『人間の生きる道!2』


どんな人間も善悪を正しく考え、心正しく選択して正しく生きる事である。

更なる人間の生きる二つの道を考えて見ようではないか!

恨む側の人間がいれば、恨まれる側の人間がいる!

このような心は互いに苦しみであり不幸である。

恨む側も、恨まれる側も不幸で苦しみの原因なのであるから、人の道に反し、天の心に反するのである。

ゆえに恨まれる事はやめる事であり、恨んで生きぬくような心も捨てる事である。

それは苦しみであり、不幸であり、やがて自らも恨まれるようになるからである。

恨まれる事はやめ、恨みの心は大河に流して、自ら正しく天道を歩く事である。

憎む側の人間がいれば、憎まれる側の人間もいる!

このような心も互いに不幸である!

互いに不幸であるから、人の道に反し、天の心に反するのである。

憎む事も、憎まれる事も共に無くして生きた方が幸せであり、楽しいはずである。

痛め傷つける人間があるから、痛め傷つけられる人が生まれてくるのである!

自分が痛め傷つけられる事は誰でも嫌いなのである!

自分が嫌いな事は人も嫌いなのである!

互いに嫌いな事はやめる事である。

騙す人間がいれば、騙される人間がいる、どちらが悪であり、どちらが人の道、人の心に反し、天の心に反するか、誰にでもわかる事である!

誰にでもわかる事なら、悪しきその行為はやめる事である!

地獄と悪趣、苦しみの世界と落ちぬためにも。

悲しませる人間がいるから、悲しむ人間がいるのである!

自ら悲しみたくなかったら、悲しませる事はやめる事である。

脅す人間と脅される人間、誘惑する人間と誘惑される人間、堕落させる人間と堕落させられる人間、盗む側の人間と盗まれる側の人間、奪う側の人間と奪われる側の人間、犯す側の人間と犯される側の人間、殺す側の人間と殺される側の人間!

これらもみな、共に苦しみを生み、不幸なのであるとそれを正しく知る事である。

善悪の善は人の心が本来知っているのであり、善に生きる事が本当の人の幸せであり、平和と安定なのである。

そして人の道に添う事であり、天の心に叶う事なのである。

神はそっと見守っているのであり、その聖霊世界も見つめているのである!

そして善の心を一心に貫く者に、見えざる幸せを与えたり、果報と救いを与えくれるのである。

悪に生きる事は必ず、その悪の報い、悪因悪果を受ける事になるのである。

不幸や苦しみはそこから生まれるのであり、神は必ずその報いをその人に道として与えるのである!

それを心に刻む事である。

苦しめる側の人間と、苦しめられる側の人間、不幸にする側の人間と不幸にされる側の人間、滅ぼす側の人間と滅ぼされる側の人間、これらは人にとって嫌な事であるに、その悪なる道は捨て去る事である。

そして人を喜ばし、楽しませ、幸せにし、愛し、思いやり、大切にする!

これらの正しく明るい心を大切にし、進んでこの心を生かして生きる事である。

与えられるより、正しく与えて生きる事である!

本来は与えられる事が本当の喜びではなく、与える方にこそ大きな喜びがあるのである。

人は本来善性の心を持っているのであり、その心に反する事なく、正しく選択して生きる事である。

自然体の善、本来のあるべき姿こそを心から知る事である!

自然のままに、あるがままに、心正しく善にある事、これが人間の本当の道である。

その本来の善の心を大きく育て、大きく磨き、大きく
使って生きる、それが神と仏の心である。

人の心に神性(仏性)これ有り!

全ての世界万物に神性(仏性)の心有り、人はこれに早く覚める事である!

そして正しく幸せに生き、皆でこの世界を幸せと平和にして、神と天地自然と一体した世界をこの世に作ろうではないか!

それは人自身にできるのであるから、人自身の心でできるのであるから、それが善悪の善の正しい選択心にあるのである。

天の道、天の心に添って生きて、人は人として人間らしく、真の人間の道を生きて天国へ生まれる事である。

その心を昇華するからこそ天へと昇りゆけるのである!

真理の道と覚め真の智慧こそ知りつける事である。

私はその為に万教と説き与えているのであるから。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌