『人間の生きる道!1』
人間の生きる道は本来二つの道しか無いのである。
善に生きるか、悪に生きるか、選択するのは一人一人の心である。
天への道を歩むか、地獄への道を歩むか、選択するのは一人一人の心である。
苦しみへの道を歩むか、楽しみへの道を歩むか、選択するのは一人一人の心である。
人は本来皆、善性の心を持っている!
それゆえ善悪の選択は自ずから解るのである。
この人の世を正しく幸せに、楽しく心を持って生きて天国へ生まれるか、この人の世を悪して不幸に、苦しんで、心に反して生きて地獄に生まれるか、選択するのはその人自身の心なのである!
その為に人は心を神より与えられているのであるから。
自らの人生の苦しみも楽しみも、全てはその人自らの心が選択して生きているのである。
人間の生きる二つの道を考えて見ようではないか!
大切にする側の人間がいれば、大切にされる側の人間がいる!
それならば人として、大切にする側の人間として生きる方が天の心に叶うのである。
大切にされる事ばかり考えて生きる事は天の心に反し、人として悲れであり、苦しみであり、不幸である!
人よ、一心に全てを大切にして生きてみなさい!
さすればいつか全てから大切にされる自分を心から知り得る事になるからである。
愛する側の人間がいれば、愛される側の人間がいる、それならば愛する側の人間として生きる方が道に添い、天の心に叶うのである。
自ら愛する事を忘れ、愛される事ばかりを願い、望み、考え、悩み、待ち望んでいる!
そんな心は道に反し、天の心に反して、人として悲れで、苦しみで不幸である。
人よ、一心に全てを愛して生きてみよ!
さすれば愛する事の喜びを知り、楽しみを知り、生き甲斐を知り、幸せを知る事になるからである。
そしていつか全てから愛される自分を心から知り得るからである。
思いやる側と思いやられる側の人間、親切にする側と親切にされる側の人間、助ける側の人間と助けられる側の人間、慈しむ側の人間と慈しまれる側の人間、楽しませる側の人間と楽しまされる側の人間、幸せにする側の人間と幸せにされる側の人間、心を正しく教え導く側の人間と教え導かれる側の人間、これらの心を正しく心で考えて見よ!
そして正しく道に叶い、天に叶う生き方を取ることである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌