『老いて生き甲斐を持て!1』
老いてこそ人は生き甲斐を持ちなさい!
老いてもはや何の生き甲斐もないなどと言う心は決して持ってはならない。
その命はまだなにも成し得ていない事に覚めて、本当の命を知りなさい。
すなわち、命を見つめて、命を修して真実と生まれる事に生き甲斐を持ちて、命を修し磨きなさい!
そは宗教を真と見つめて、その命を真と帰しなさい!
老いて学ばすのはゆえにただ命の道、これと知れとは教えるなり。
かけがいのない人生、老いてなお生き甲斐を持って生き、そこここで命をこそ輝かし生きなさい。
命の務めは道なりて、道は終わりの無きなり!
老いは老いのままに命をゆきなさい!
その命は心なるに、心こそ若さを持ちて命の道こそを覚め修し磨き暮らしなさい。
老いて生き甲斐の無いと言う人は、覚めて真の宗教こそを持つべし、宗教の心と一と成して人と世の為にこそ命を生きなさい!
されば、今までに得られなかったほどの生き甲斐が、そこに生まれると知れるなり。
宗教を持って人と世の為に生きれば、その生き甲斐は尽きる事が無い!
たとえ、その人が百歳になったとしても、その真の世界では、まだ子供にすぎないのであるから。
死の先にある道を見て老いを生きなさい!
されば、生まれる為にこそ今を最後まで強く生きなさいと教えるなり。
充実した老いを生きる為には、命を命として生きる事です。
それは真理に添いた真の命の事であってその命をこそ生きる事です。
されば、輝きた生を生み、輝きて死の道へと往けるのである!
これを真と生まれる為に生きる本当の命と言うのである。
宗教の教えに命を見て命を生きれる人は、何歳までも充実した人生を生きる事が
できるから、老いても老い無いのである!
その老いさえも、真の命と生まれる為の道と気づき知れば、死の瞬間まで命を充実させて生きる事が出来るのであり、死の末までも、その命を生きてゆけるのである。
ゆえに人は、本来の命の務めである命を生み作る!
実のところの『真と生まれる』と言う事を知りて道を往きなさい!
されば、老いて生き甲斐が無いなどと言う事は、誤ちこれと知りゆくなり。
自己の命を真実の命と生みゆくに優りた夢があろうか!
それは自らを仏陀と生み作る事なりて、神と帰りて神と生まれる命の道と言うなり!
されば、老いてもう夢も希望も無いと申すは、愚かな事と言うなり!
何故ならば、その人達は、本当のところは、何も成していないのであるから、その時こそ真実の夢と目的を持って、真の命を生きなさいと言うなり。
そは、命を修し、命を磨き生きる事なりて、宗教の本来の目的これと知る事なり。
老人よ、夢も希望も、本来の命の目的から見れば、みななにもなしていない事こそを、気づき覚めなさいと教えるなり。
この目的の道は、尽きず無尽と知りなさい!
百歳と申するも、その道から見ると、有って無きが如きなり、ゆえに皆道と覚め帰りて、『生まれる』と言う希望を持って、元気に生きて生きよと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌