子育ての教育・行動の奥にある心2 | 太陽王法の会


『子育ての教育・行動の奥にある心!2』


(原因)
子供、特に幼児の反抗には、親や教育者の方に原因があると思う事である。

ゆえにその原因を自分達の方にあるかを気づいて、見つめて見る事が肝心です!

それを忘れているから、その解決の道に迷い悩むと知る事です。


(教えられているのは自分達)
教えられているのは、自分達であると思う事です。

子供を教育している自分達が、常に子供から教えられて一人前になっていく事に気づけば、教え育てていると言う一方的な心がなくなり、心が軽くなり、よく物事が見えるようになるものです。

そこに、子供と教育者との和も生まれるのです。

自分が命と生まれて生きるのは、この全てに教えられているという事に、気づく事が最も大切な事なのであるから。

全てから常に教えられている自分と言うものに、謙虚になって気づく事である!

されば全てから学ぶ事ができるので、本当の智恵を得れるのである。


(現象の奥にある真実)
現象の奥にある真実にこそ目を向ける事です。

嫁姑の問題も、
子育ての問題も、夫婦の問題も、
人と人との問題も、
社会の問題も、
全て人の心が生み出しあらわしめているのです!

ゆえにその全てを現象のみにとらわれず、その奥にある真実にこそ目を向ける事です。

この真実を見るには、自分中心主義の計らいや、思いこみ、決めつけ、勝手は全て捨てて、中道に立って正しく見る事が大切なのです。

全からず相手の立場に立っての思いやりの心で見れば、真実はおのずから見えてくるものです。

人の責任と考え思うより、自らの方に誤りがあると考える事も、大切な真実の眼を養う心なのです。

更に、例えば相手が悪いとわかっていても、その悪い心を自らに向けて
、それを生み出したのは自らに責任があると知りて、自らをこそ正し、相手を許し、思いやる事である!

思いやり、許しあうと言う大きな真実の心と覚めれば、全ての問題は自然と解決してゆくのであるから。

人は、ゆえに現象の奥にある心をこそ見なさいと教えるのである。   


(教師の大切)
子供達の前で、自己中心の思いあがり、おしつけ教育者だった自分の姿を示して心から詫びて、真実の命の姿を語って見なさい!

そして感謝と思いやりをもって自分の誤ちを正して全てに思いやりを示して見なさい!

その日から、その教育者に対する生徒の心が変わりゆく事を知る事ができるから、素直になって自分を見直し生きる事で、真実の感動を知れる人となる事こそ、教師の方には大切な事なのである。

無我となりて、感謝と思いやりをもって語れる人は、人を感動させるものです。

その人が、それまで自分中心の人であるなら、そう生まれ変わる事で生徒を感動させえるのであるから。


(生徒こそ師なり)

教育者にとって教育の場は、生徒を教えるところであっても、自分の学びの場でもあると思う事である。

自分が自分の命を学ぶ場であり、鍛え磨き、修する場であると思い気づけば、生徒はみな、その為の師と変わるのである。

されば、少々の事ではへこたれぬ自分が生まれる事に気づくはずである!

学ばす者が学ばされ、学ばされる者が学ばす、命とは素晴らしいものであるのです。

ゆえに裸になって思いっきり命の学びをやる事で、生徒と教師はひとつになれるのです。

学ぶとは本来、命をこそ学ぶ事であり、命と生きる事を学ぶのである!

勉強とは、免れる力を強めると言う意味を教え示すのであり、この免れるとは、無知と迷い生き闇き自分から免れる事であり、真実と道理に覚めて、智恵と真実の心を得て、命を命と生きる力を強める事に尽きるのであるから。

『人は心で生き心で全てを生んでゆく、迷う自分に気づかず、闇の中に迷い彷徨うのである。

ゆえに(実の如く自らの心を知れ)と教えるのである。

全ての因縁もその心が生み人はそれに気づかず、迷いの命を生きて苦楽してゆくのである!

気づきなさい!

全ては心であると、ゆえに仏陀も神々も心と命と命の道を説いて教えるのです!

私はこの命にとって一番大切な心と命の道を教え続けるのです。

覚めよ真の自分に!)


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌