『子育ての教育・行動の奥にある心!1』
行動の奥にある心をこそ見ることである。
例えば幼児が反抗したり、悪戯をしすぎたり、我儘や悪さをわざとやったりする時、その行動のみにとらわれてそれだけを責めても、真実の解決にはならない!
その行動の奥にあるその子の心をこそ見つめてやり、優しく慈愛をもって気づいてやる事こそが大切なのです。
そして心をひとつにして、その心を知り取り去ってやる事が大切なのです。
その子供の人間形成は、その心に全てがかかっているのであるから。
親や、教育者はゆえにただその行動のみにとらわれてそれを責めるだけでは、真の子育て教育者とは言えないのです。
全て心こそが肝心なのです!
ゆえに常にその子の立場に立ってその行動の奥にある心をこそ見ることが大切なのである。
教育者や親は目の位置をその現象より、心の方に向けるべきです。
子供は、その心に目を向けてもらいたくてその行動をとると思う事です。
更に一歩進めてその子の行動が、誤った親や教育者の眼を覚ます為に、それを見せているのだと思い、知る事です!
さればそこより自分の方のありかたに気づかされて、教えられているのは自分の方であると気づくのです。
子育て教育に目を開くとは、自我を捨てて、目の位置をその現象のみにとらわれず、心にこそ向ける事で生まれるのであるから。
子育ての名人は、素直な子に接して喜ぶのではなくして、逆に素直でない子を見て喜ぶのである。
素直でない子ほど、その教育者に多くの事を教えてくれるのであるから。
幼き子はその行動で、その奥にある心にこそ気づいてほしいと思っているのです!
そして逆にその大人の方の心を気づかせ導いているのです!
この心をすぐに気づいて、自分達大人の側のありかたを見直して、すぐに対応できるようになるから、子育ての名人になれるのです。
これが解らないと、現象ばかりに振り回されて苦しい思いばかりしてなんの解決も得れないのです。
ゆえに、その因縁こそ正しく見る目を養いて、常に子供の側の心に立って思いやる心をこそ第一の大切なる事と教えるなり。
悪戯や、悪さをして反抗するその子供の奥にある苦悩を知れば、その子がかわいそうになり、慈愛、慈悲の心が涌き出てくるのです!
それを怒り、責めるだけで解決しようとするから思うようにならず、自分達もまた苦しむのです。
子供を苦しめ、自分達も苦しみゆく!
これは愚かな事です!
ゆえに常に慈悲、慈愛の心をもって、その子供の小さな胸の内にある苦悩こそ気づいて、その原因こそ正して取り除いてやる事こそが大切なると教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌