『輝くを知る者達!1』
他を正しく輝かす為に生まれ来る者はこれ全て太陽の子にして使いこれなり。
さればこれを実と命をもってなす者達をこそ太陽の眷族にしてそこと生きる光の使者これなり。
他を正しく輝かすを知る者にしてなす者は、よく自ら輝く者これなり。
自らで自ら一人を輝かしても、小の光と知る事なり。
自己満足の光に真はなきとは示すなり。
自ら、多くの他を輝かしめて生きるゆえに、自らの真の命の輝くなり。
例えば、よく夫を輝かすを知る者は自らまた輝くものこれなり。
夫をないがしろにして、自らのみ輝かんとなす妻は、逆に光を失う者これなり。
されば、よく妻を輝かすを知る夫は、自らまた輝く者これなり。
妻を粗末にして自らのみ輝かんとなす夫なれば、逆に光を失う者これなり。
すなわち、他を正しく輝かすを知り、よくなしゆく者こそ、自ら輝く者と教えるなり。
友を正しく輝かすを知る者は自ら正しく輝く者これなり。
弟子を正しく輝かすを知る師は、自らまた正しく輝く者これなり、師を正しく輝かす弟子もまたこれなり。
一切の他を正しく見つめて、よく輝かしめて生きるを知る者こそ真実、輝く者なればなり。
これを忘れて他を害いて自己中心に自らだけ輝かんとなす者達こそ、光これを失いて自らを滅ぼす者達と知る事なり。
自己、自家のみを荘厳して他を輝かす光を忘れる者を、真の宗教家とは言わない。
世界に餓える子達ありて病める子達のあるを知りて、そこに光を与えるを忘れて自宗の化粧にうつつをぬかす宗教団体、宗教家はゆえに、宗教の意味を知らずと示すなり。
他を輝かすを知らぬ者には光の無きと知る事なり。
闇と光与えるが、光の義とは言うなり。
このような当たり前の道理を忘れる宗教家がありて自己の権欲、名誉欲、そして財欲のみにそれを利用する者ならば、その者をして宗教を利用悪用する大悪人と言うなり。
自己のみ輝かすを思い願いて、他を輝かす本道を忘れる宗教家を、ゆえに大迷大愚の者と教えるなり。
全ての他に光を与えて輝かしめてこそ、自ら輝くという命の真実をゆえに忘れてならぬと教えるなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌