『太陽の法と古代の天地観・古代宗教の誤ち!3』
陰陽道の教えも、中心を地において日月これを分けるなり!
ゆえにまた広大な地とそくしての、この天地の霊体、大霊神などと申して、太陽界はその下の世界などと言う教えもまた宗教界に生まれくる事とは知る事なり。
全てその中心を誤ちたゆえのすがたとこれを示すなり。
正しく太陽を中心にすえてこの天地内なる地球を見つめれば、対立はなくなりひとつと覚むと言うのである。
この宇宙の太陽がありて太陽宇宙、太陽世界の成立するは当然なり。
地球天地は内なるものと知りてまた、広大なるもの、無限なる世界ではないと知れば、それが太陽なくして存在せぬ事も当たり前に知れるなり!
地にありて大覚し、神となり、仏となると申しても、この誤った宇宙観をもって自己を主張している以上、その神と神、神と仏は、ひとつになれぬと知る事なり。
宗教対立の原因はゆえに、ここに大きな原因があるを早く気づけと言うなり。
全てが太陽を中心とするひとつの世界にして、その太陽と大覚し生まれる事が、その命の真実と覚めば、ひとつになれると言うなり。
そこにおいても、我のみ太陽神と申して分け対立するならば、真なる太陽に非ずとこれを知る事なり。
太陽はひとつ、世界はひとつ!
そのひとつとして全てを知り、全てを照らすからこそ太陽なると、これを忘れてならない!
この実相の正されなくして宗教はひとつになれぬと言うなり!
太陽真理の真実、ゆえによくと覚めてこれと解せと教えるなり。
私はその古代の誤ちを悉く破してくだきて、真実の教えと説くと知る事なり。
そもそも大日とは、太陽をおいてなく、大日が太陽でないならば、その名義妄語となると申すなり!
声字実相義は真言の肝心、命なるに、大日如来とは太陽大日輪これを示して、その真理大法、神秘真実、これを教えるなり。
ゆえに私は天を主とした太陽の法、阿毘羅吽欠を説き、そこと一命一体の地を主とした阿毘羅吽欠を説き、人身一命一体の阿毘羅吽欠を説き、一切阿毘羅吽欠たる真実を説きて証すと言うなり。
ゆえに全てはその古代の誤ちは誤ちと知り、認めて、今の時においては太陽一如成道の法を説く、私に依れと言うなり!
私の教えに依れと言うなり。
地球が太陽を従えるのではない!
太陽に地球が従い、この世界は成立する!
ゆえに天なる父を太陽と言い、地なる母を地球と言うなり。
そこに生まれた私は天地の子にして、大いなる法を説く太陽の法嗣と言うなり。
地にありて悟り覚し、日月を従えるなどと言う愚かな悟りはもはや覚め棄てよと言うなり!
ただ、真実の太陽の法において全てはひとつになると教えるなり。
『古来太陽の法によりて一と験証した者が王となるなり。
その王がこの世界に沢山生まれたのが、各王国の相これなり。
それらも太陽を中心にして全てを一と知れば、全ては統一なすなり!
宗教もこれを覚め知れば統一すると知る事なり!』
(オ一ン・アビラウンケンとは大日如来の太陽の法の真言なり!
大日如来マハ一・ヴァイロ一チャナとは太陽の事なり。
阿毘羅吽欠とはまた、地・水・火・風・空・識、六大宇宙、地球、一切の衆生万物にして全てなり。
これを説けば広大にして無尽なり無量にして無限なり!
これを真実の太陽の法と言うなり!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌