寝たきりの老人の心 | 太陽王法の会


『寝たきりの老人の心!』


寝たきりの老人は、その因縁因果によりて病いとなりた時、自らの送り来た人生をよくよく振り返りて、その心を見つめる事である。

自分の人生においての罪業がありたらよく見つめ、
反省し、その心を清めゆく事である。

そして自ら全てに生かされ生きている事をよく知りて感謝の心を大切に見つめ家族や人々と接する事であり、天地大自然、万物と接する事である。

そして静かな人生を心正しく送る事である。

その家族はその人を大切にして生きる事である。

人として生きるに、その世話をできる事を喜ぶ事である。

そして明るく、老人を大切にして生きる事である。

思いやりこそ一に大切であり、その思いやりある行為は自分の人生の業をも滅し、祓う事になるのである。

自ら老いて、
平和に
暮らす為にも、
寝たきりでも、
決してその老人を粗末にしてはならない!

その機会に巡り会えた事をむしろ喜ぶべきである。

人間は
互いに心で思いやりあう事こそが大切であり、
天はその心を聞き、いつでも見つめているのである!

今生の業はそれで祓われ、来世は天国と生まれることになる事を忘れず、人間形成に生きる事である。

寝たきりの老人は家族を恨んだり、憎んだり、
必要以上に困らせたり、わがままを言ったりして家族を困らせては決してならない!

自らの因縁によって老後そのようになってしまった事をよく気づき見つめて、全てに感謝し心をこそ見つめ直す事である。

神仏に依り、
人生の罪あらば心より反省し、
業を祓いて天と帰れるようにして、決して家族を
恨まず、
憎まず、
苦しめず、
逆に
家族に対して、
心の形成、
施業の手伝いを自らの身と心をもってなして、ともに心と心を通わせて人間形成に務める事である。

その家族が、
恨み憎しみあい、苦しめあっていれば、そのままその因縁が自らの身に巡りくると思う事である。

ともに
大切にしあう事から心が通い、
心がそこに正され神仏の心、
命の源の心に添う事になるのであるから。

家族は、
そこに心を修し、心を磨き鍛えて、本当の命をこそよく学ぶ事である。

あらゆる教えがそこに生きて、大きな喜びをともに与えあう事になるのであるから。

寝たきりになったのも因縁、因業でもあるから、よく自分を見つめ、
その残りの人生で更に心悪していかず悪因悪業を祓いて、心正して天と帰る事である。

業を祓う為にそうなったと思い、
自らの罪を
悔やんでも、
家族を
決して恨んだり、
憎んだり、
苦しめたりしてはならない!

逆にその命を大切にして、命と心を見つめ直して反省とその心形成、
人間形成に勉め、その心をきれいにする事である。

その業を祓う機会が残された事を喜び、正しく生きる事である。

わざと寝たきりに自分から進んでなる人がいるが、
それは天道に反する心であり、行為である。

神仏を
大切にして信じ、精一杯、
逆に身をすてて家族や人々の為に尽くす事である。

さすれば、
元気で送れるようになり、あの世、天国浄土と帰りても幸せとなり、
来世も幸せな世界へと生まれる事になるのである。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌