真の心、真の命とは5 | 太陽王法の会


『真の心、真の命とは!5』


病気の人が、
治っていても本人がまだ病気だと思って薬を欲し続けたら病気は去らないのである。

それは本人が離さないからである!

病気は心の病いでもある!

心を強く正し、
正しく生き意思の力で病気は治ると信じ人は神の子でもあり正しく神の心にそって生き、病気は本来無いと思えば治ってゆくのである。

心が
悪ければ病むのであり病気に執着すればするほど、
心が病気をつくってゆくのである。

現象は心のあらわれなのであり、
正しく神に出会えば病いは治るのである。

病いにて天寿に
死する事は、
これ死では無く、帰る事、
実相の世界へ帰る事なのであり、
これも正しく生きて帰れば天国へ帰れるのであると知れば死もまた肉体の現象にしかすぎず本来はあって無いのである。

仏教は死をして
往生と言うのはその為である!

往生とは文字で示すように、
往きて生まれる事である。

鏡に内容をもどそう!

苦しみの
心を自らが作り、自らが取り込み、執着して持っている!

そこに
迷い見失い、
その苦しみの中から逃れる事ができないのである。

悪い心で悪い行いをなすとその悪業の報いとしてその業(カルマ)を精算する事になるのである。

業は
必ず報わねばならないのであり、
これは誰一人として逃れる事はできないのである。

悪心悪業は心の苦しみとなり、
罪の意識となり、いろいろな形でその身に帰ってくるのである。

その形にあらわれた事が更に苦しみの中に落ちるのであり業の償いで獄に入る者もいるし、それを逃れたとしても苦しみからは逃れられず、死して後にまで精算する世界があるのである。

悪心悪業は
争いや戦い、
そして不幸や苦しみの中に必ず身をおき苦しむ事になり運気も無くなり何をしてもうまくいかず身につかず破滅に向かうのである。

病気になる事も、悪心悪業が生み育ててゆくのである。

それぞれの因果の報いによるつぐないを受ける事になるのである。

恨めば、
恨まれ、
憎めば、
憎まれ、
怒れば怒らし、
苦しめれば
苦しめられる!

みな鏡として返ってくるのである。

悪の中には平和は無いのである。

真の幸せも、
真の喜びも無いのである。

悪人が
悪業にて財を得、地位を得、
一見幸せそうに見えても、それは上辺の単なる現象である!

その者は不幸なのである!

善人が貧しく、
なにをしても富まず不幸せのように見えても、その人の心が病んでいなければ、その者は不幸では無いのである!

全ての人は業の精算をみなするのである。

現象に惑わされるから迷いなのである!

正しい心で生きる事は迷いが無いのである。

正しい教えにふれ正しく生きるところに迷いは無いのである。

心世界は因果という天理をはっきりと示しているのである。

人は現象に惑わされてはならないのである。

逆に善の心を鏡に写して見よ、
楽しみを写して見よ!

それはそのまま自分の心に写し返ってくるのである。

楽しみを正しく人々に与えよ!

そこに楽しみが生まれると知る事である。

喜びも、
幸せも、
平和も、
全て正しく鏡に写して見よ!

全てはそこにあるのである。

喜びを
与える事を喜び、幸せにする事を幸せと平和を与える事で平和を受けよ!

全て
合せ鏡のように人と人が写せば、
幸せと、
平和と安定の中に暮らせるのである。

愛するという心を真実正しく知る事は幸せと、
喜びと、
平和への誕生である。

善の心は
苦を無くし、
平和と安定への道である。

愛すれば愛され、思いやれば
思いやられ、
大切にすれば大切にされる!

全ては
心なのである!

心が現象界に形となってあらわれるのである。

人は
善を行いなし、
努力し生きれば、必ず果報を得るのである。

その果報は全生の業のつぐないになり、そして来世への幸せとなり、
現生での果となるのである。

心正しく学び心正しく生きる事である。

人として道を誤ち光を失い、
迷い、
悪魔や鬼のようになれば、
いつか苦しみと
無明の地獄へと落ちるのは当たり前であり、その心を正しく道を正しく生き光をもって光の道を生きれば迷う事なく苦をすてゆきて暮らし、
天国へと帰る事ができるのである。

これも当たり前の事実である。

人よ、
早く肉体が本当の命ではなく、
心が人の本当の命である事を悟る事である。

その心は
この宇宙意識、
神の意識とひとつに結ばれる事ができるのである。

それを覚める事が悟りへの道である。

神の世界の意識とひとつになるとは自ら神の子であるという自覚でもある!

そして神の子として神の心になって全てを見てゆくのである!

そして神を求めて祈る事である。

心の扉を開きゆくとそこに無限に広がる空の世界を知れるのである。

心は無限宇宙の如く広く開かれてゆくのである。

いっかいの
つまらぬ人間でも真実信じ、
真実人の世の為に生きる志しを立て神に全てをゆだね祈り、ただ心と修せば必ずや天の道を得るのである。

それは自らの現実をもってこの私が自ら示され示す事である。

私のような無知無学の人間が、
心を開き心求め、志し高く貫き通す事で道と出会い、天と出会い、
神を得たのである。

そして真理の世界の神秘、言葉に尽くせぬその実体験より心を得、智慧を得、道を確立したのである!

これはなににも優る事実、現実なのである。

人は狭く暗く迷い苦しみの道から光の世界、天道へと至れるのである。

その教えは古き時代より人に神は教え続けてくれているのである。

人はそれをいたずらにねじ曲げているのである。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌