真の心、真の命とは6 | 太陽王法の会


『真の心、真の命とは!6』


人の心とは偉大なのである!

人間界以外の
真理の世界を見る事も知る事も、
宇宙の外(精神神秘世界)をたどる事も神の導きにてできるのである。

遠くへだてた国へ思いをはせることも過ぎ去った過去へ帰り見つめる事も未来を見据える事も、神は人に与えくれるのである。

自由自在に真理の世界より来る神々と暮らす事もできるのである。

智慧の世界もそこで神から道の扉、心の扉を空と開かれるのであり、
この心こそ人の本当の命であり、
この心は生まれる前から持っておりこの世で
人格形成、
人間形成して心をもって天に帰るのである。

人格形成、
人間形成した人を仏教では仏陀と言い釈尊はその一人であり、イエスキリストもその一人なのである!

人として神の世界へと至り、
神の一人となったのであり、この道は本来全ての人々に与えられた、
全ての人々の行くべき世界なのである!

釈尊も、
イエスも人であり人として道と開き神と出会い、
神に導かれ本来神の子と覚め悟り、天上界へと生まれたのである。

人は全て神の子であるとイエスキリストは言い、
釈尊は
全ての衆生、
人に仏性あり、
全ては仏となるべき命、仏であると言っているのであり全ての人のめざす道を示しているのである。

あの世、
この世を心形成するためにくりかえし生きるのがこの世界であり悪業は必ずつぐなうのである。

人間に天、
神が言うのは、

『人間が人間として人間らしく正しく生きよ!』と言う事であり
『現象に見失う事なく、目の前の現実を正しく見て、正しく一歩一歩努力し生きよ!』と言う事である。

目を
正しく開き見て、正しく考えれば、天と神々の教えはいたるところにあるのである。

全ては心なのである!

この世があるようにあの世もあるのである。

この世界虚無からはなにも生まれないのであり、
因縁で生まれ、
生滅変化しながら存続するのであり虚無からものが生まれるか、
よく考えて見よ、生まれ得ないのである。

それならば虚無になる事も無いと言う事である。

存在するものは、生まれなければ、滅しないのであり、また虚無からものが生まれるという事は言葉も、虚無から生まれず!

神は存在するからその神という言葉も生まれ、
言葉も神から生まれたのである。

さすれば、
あの世も存在するからこの言葉が
存在しあるのであり、生まれたのである。

上があって
下がある、
一体である!

右があって
左がある、
一体である!

表があって
裏がある、
一体である!

昼があって
夜がある、
一体である!

陰があって
陽がある、
一体である!

善があれば
悪がある、
一体である!

全ては相対しそれはみな存在し、
表裏一体である。

さすれば
この世があれば、あの世があるのであり、この世から見てあの世でも、あの世から見るとこの世なのである。

彼岸と此岸これも同じである!

片方がなければ両方無いのであり、相対して一対にして存在するのである。

この世があってあの世が無いと言う人は、この世を知らないのである。

悪を知らない人は善もわからないのであり、全ては存在するからこそ言葉も生まれたのであり虚無の世界にはなにも生まれないのである。

虚無からはなにも生まれ無いと言う事は言葉もまた生まれ無いのであり、あるからその言葉が生まれ、
ずっと人の世に生き続けているのである。

こういう教え当たり前の教えこそ、神の愛が隠されているのである。

人よ、
心である、
全ては心なのである!

あの世と
この世を人は生きているのである!

そしてあの世とはとりもなおさず同じこの世なのである!

表裏一体にしてこの空相の中に本当の世界はあるのであり、全ては空より来たりて空に帰るという実相を見よ!

本当はあの世の方が長い実世界なのである!

たかだか百年に満たない人間生活の現象界、見失う事なかれ!

この世を
心の道場と思い、心を正し
人格形成、
人間完成すべし!

神は至るところにその教えを与え、あの世すなわち天界の人々はあらゆる方法をして、人々にそれを伝えようとしてくれているのである。

それをよく見つめて信じ生きる事である。

人間で生き、
人間のこの身から離れ人生の精算をするとき、
無事天に帰れるように心をもって生きる事である。

悪い事ばかりしている者はその精算にそれぞれの精神界へいって覚めるまで苦しみ修行するのである。

人間は
人間の心に覚め、人間を生きよ!

決して
人以下の世界へゆくことなく、
心正して生きる事である!

苦しみ世界へ転生する事なく、
早く覚めて生きる事である。

人は常に今を三世として生きているのであり、
今のこの時を、
過去、
現在、
未来と休む事なく生きているのであり、この宇宙の営みのように永遠の命を生きてゆくのである。

正しい意識をもって正しく心学び心ある人間として生きよ!

そして成長と
向上をはかり、
天へ帰り、
苦しみのない永遠の果を得る事である。

心ある者は、
救いとなす道と入り天道を生きよ!

指導神、
守護神として、
指導霊、
守護霊として心正し志を立て今から生きよ!

そして神と共に永遠の世界を生きる事である。

正しく神の心に添って生きた者達は天界へ昇りゆく階段を上がれるのである。

天国へ生まれ幸せに暮らせるのであり、そして天界の更なる階段を上がり天上界に至った者は自ら神となって神々の世界に入るのである。

全ては神の意識、神の世界へと回帰するのであり、
それが人の道なのである。

人よ、
この事を早く覚め早く気づくべきである。

神は人の姿に神の教えをそのまま写し、人の身をして教えているのである。

この大宇宙とこの地球の天地の宇宙と、人の小宇宙とは合せ鏡となり、心、
命を教えているのである。

よく内と外とを正しく見て正しく生きよ!

悪をもって外に悪業をもちて生きるは心を病ますものなり!

心病めば内なる身体これも病む原因なり!

この大宇宙も、
地球の天地も、
神の体内と思え!

この神の体内を乱し汚してはならぬ!

天国としてこの世を作りゆくもこれ人の務めなのである!

人格形成、
人間形成して生きるとは人と人の世の為に生きる事なり!

それはこの世を天国とする事である。

さすればこの世、あの世全てが天の天国と回帰するのであり、それは神々の天地の平和であり神の世界の平和であり、
そしてそのまま
人の世、
世界の平和である。

天地一体にして
大調和し、
あの世この世も
大調和し、
神の体内を安定せしめる事!

これも人の務めである。

神の体内を安定せしめる事はとりも直さず、自らの心と身の安定である。

神と大調和し、
全てと大調和して心をもちて生きれば、そこここにいて全ては天に救われるのである。

神の心をもって
神の子として生きよ!

その心が神とひとつになれば、
この天地の
神の意識、
この大宇宙の神の意識とひとつになり生きれるのである。

心開けば神に導かれ教えられ、
本当の
実相の世界、
空の実相、
真理を悟る事ができるのであり、
そしてそうして生きるところに全ての道があるのである。

全ての道は全て心なのである!

病いも心からおこり、心でかえる!

治るのであり、
全ては心なのである。

神を知れ、
そして自然体の善の心をもちて生きよ!

心青空の如く生きよ!

清く明るく、
清々しく生きよ!

その青空に悲しみの雲があらわれても自然にまかせ、とらわれるな!

雲はみな流れて消えてゆくのである。

苦しみの雲があらわれたら、負けずに努力し挫けず正しく生きよ!

全て人間形成の為の愛と思え!

そして心鍛えよ!

正しく鍛えよ!

苦しみの雲も正しく生きてとらわれずばみな流れて消えるのである。

悪は苦しみへの道なり!

苦界への道なり!

善は幸せへの道なり!

天国への道なり!

現象にとらわれず正しく生きよ!

神の心の完成は悟りと天への道なり!

天上界への道なり!

永遠の道なり!

人よ、
早く気づくべきである!

全ては心なのであるから。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌