真の心、真の命4 | 太陽王法の会


『真の心、真の命!4』


人は現象に
迷い見失い、
浅い表面意識しか知らず、その心を忘れ見失っているのである。

人は、
この人間界、
現象界に心を磨き形成するために生まれ出てくるのである。

人の心として人間の肉体に宿り、
成長しながら心を成長させ人間形成をするために生まれくるのである。

輪廻転生も
そのために存在するのである!

人格形成し、
神の意識、
天上界へ至り帰るため、繰り返し生死生を生きるのである。

そこに
前生の業があり、悪因悪果、
善因善果の因果の報いがあり、
それぞれが分かれるのである!

この世で好き勝手に悪道に生き、
自分の自我、
我欲に生き、
心失って生きた者は、その心を精算してその報いをもって苦界へと生まれるのである。

人間の心を全く失ったものは、
もはや人間ではなくなると思う事である!

報いは全て平等にあるのでそれを知って心生きる事である。

神は反省懺悔という心をそのために人に与えているのである。

人よ、
心をよく知り、
よく考えて見る事である。

心も
この世界の因縁によって常に生滅変化しながら移り変わっている!

しかし事象現象は移り変わっても、その心は無くなるわけでもなければ増えるわけでもない!

不生不滅なのである。

しかし、
その心は移り変わっても変わらない心があるのである。

それが自然体の、もともとの心である。

善悪を知る心、
これは本来自然体に変わらず誰にでも与えられているのである!

善の心は、
その善の心を大切にして善を行い、正しく人格形成してこの世界を幸せと平和な世界にしなさいと与えられているのであり、悪の心は、
これが悪であり、苦しみと迷いと、争いと、
戦いと滅びへの道であるからと教えられているのである。

人が心正しく人格形成するに、
共に表裏一体にして必要な心なのである。

悪の心は、
悪を行えとして与えられているのではない!

それゆえ
悪の報いを受け、償わなければならない因果が必ずくるのであり、
不幸と苦しみへの道であると教えてくれているのである。

人が
自らそこに至る事が誤ちであり、
正しく天に生まれて天の生活ができるように教えてくれている事であり神の大いなる心であり愛なのである。

神を恨む事こそ誤ちなのである。

それは自ら悪を歩いた事が悪いのであるから。

自分の悪を人や世間や神の責任のように考える者は、天国、
天界、
天上界を乱す者であり人が自ら心覚めて心正し、
帰って来ることが神の願いなのである。

人は心を与えられているのである!

その心が本当の命なのである。

喜ぶ心、
楽しむ心、
幸せを感じる心、愛の心、
思いやりの心、
正義の心、
清い心、
平和を願い望む心まだまだ沢山の心を持っているのである!

それは自然体で誰でもが平等に持っており持ち得る心である。

そして
悪を悪として
知る心、
怒る心、
恨む心、
憎む心、
羨む心、
妬む心、
苦しみ苦しめる心を誰でもが自然体で持っており、
持ちえる心である。

悲しみの心、
涙そして
感動する心、
これもみな、
平等に持っているのである。
これらは全て悪を悪として教え、
善を善として教える自然体の心なのである。

教えるものが無くとも心が悪を、
そして善を教えてくれているのである。

全ては善を行いなして幸せで平和な世界をつくり暮らして、悪いことをするなと教えているのである。

悪い事を悪いと教えるために、
悪い心を悪いと教えているのであり悪い事をやれと教えるために悪い心の教えがあるのではない!

そのために因果の天理があり、
悪は苦と、
迷いと、
争いと、
戦いと、
滅びへの道だと教え示しているのである。

悪、
これはやめなさいという見失わず正しく心を磨き、
正しく生きて天国へ帰ってきなさいと言う、神の愛なのである。

神はその為にいたるところに心の教えを残し、
写し、
人に知らしめてくれているのである。

そして神は、
人に法と
道を与えて、
その法に依って真理の世界と通じる道まで与えくれているのである。

全ては人が自ら
人格形成、
人間形成して成長し、帰ってくるように与えられた神の大いなる愛なのである。

人の心は、
悪い事をすれば、自分で悪い事をしたと知っているし反省する心も持っている!

そしてその心は全て因縁によって生まれ、滅してゆくのである。

悪い心には
悪い因縁があり、悪い結果が生まれるのであり、
苦しみはここから生起するのである。

心を鏡として見て見よ!

鏡は
鏡として存在し、なにも写らねばそのまま空である!

存在する
空である、
悪い心を
そこに写し、
悪い行いをなしていけば、そのまま自分に写しかえってくるのである!

悪因悪果の
報いである!

また心に苦しみの心をとりこめて、それに執着していると自らその苦しみの因縁を離さず持っている事で、つまり鏡に写し続けるわけであり、そのまま苦から脱けられないのである。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌