真の心、真の命とは2 | 太陽王法の会


『真の心、真の命とは!2』


自然を親として
生かされ、
育てられて形づくり成長してゆく、自然と人とが一如一体であることがこれで解らぬはずはないのである。

これで自然の大切さが心あればわかったであろう。

自然は自分の
肉体でもあり、
自分の肉体、
自分とひとつなのである。

それではこの肉体が自然によって作られるならなぜ、人が魚を食べたら魚にならないのか!

なぜ野菜を食べたら野菜になってしまわないのか!

それは、
全ては生滅変化しながらその因縁によりて変化するからである。

全ては
もともと空なのである。

人の肉体も光と大気と水と大地と、この自然の中から生まれている!

仏教ではこれを、地と水と火と風とで全てが形成されているとして、
これを四大と言っているのである。

野菜は、
種が大地に蒔かれる因により、
大地と光と、
水と大気(風)と、自然の命の力の縁によりて、
種から変化して野菜となって生まれるのである。

その野菜は人に食される事によって人の肉となり、
血となり、
エネルギ一となって変化するのである!

そしてみな空と帰るのである。

すなわちもとの自然に帰るのである。

この自然、
もとの
自然である、
光であり、
風であり、
水であり、
大地である!

地・
水・
火・
風の四大を合わせる自然を空と言うのである!

それゆえみな形あるものは、
自然より生まれ
自然に帰るのであり空より生まれ空に帰するのである。

人間は
この空より、
空と一にする意識を持ってくるのである!

それが心なのである。

人間の心なのである。

空より人間の
心ではなく、
鳥の心をもってきていたら、人にはなれないのである!

その心(識)が本体なのである。

心は目には見えないけれど実体として存在するのである。

この精神世界、
心世界が人の本来の生命であることを人は正しく知らねばならないのである!

人間は人間の意識と心を空より持ちてくるから人間となるのである。

ただの肉体が本体の命であるなら、自然を食し形成する身体は、
人も鳥も、
獣も、
差別はなくなるのである。

心がありて人なのである!

人の人としての心がありて人なのである。

人の
肉体の源点の形、姿を見て見よ!

人の肉体をしているだろうか!

いないのである!

その人の肉体の種子をたどればそれは心へと至るのである!

そしてその心を正しくたどれば神へと至るのである。

人の肉体としての最初の種子は神の力によりて生み出されたのである!

さすれば人の本体の生命体である心もまた、神の力によりて生み出されたのである。

色は
すなわち空であり空はすなわち色である!

これも仏教の
教えであり、
真理の教えである。

一切が空であるすなわち現象界の見える物体全てを色と言い、
見えぬ世界の実体を空と言う!

その見えぬ世界こそが本当の世界であると教えているのが、一切空の教えである。

この空にこそ
精神、
心の世界、
真の世界が存在するのである。

空の教えは他の教えの中で示すとして、人の肉体に戻す事にする!

人の肉体は
自然の子であり、自然に生み育てられたのであり、
それゆえ自然に帰するのである!

自然は神と
一如一体ゆえ、
全ては自然に帰し空と帰し、神に帰すのである!

全ては神の体内に帰するのである。

人の肉体は全てと一如であり、
そして全てはまた人と一如である!

この世界全てがもともと大いなる神の体内なのであるから。

この大いなる体内に心世界、
精神世界があるのである。

それは人に
肉体(色)があり、心と意識(空)があるようにである。


肉体は
形があり見え、
触れる事も、
はかる事もできるが心、識は形なく見えず触れる事も、はかる事もできない!

しかし現実に存在しているのである。

人の言葉、
声を考えよ!

形無く、
見えず、
つかまえる事も、はかる事もできないが、存在しているのである!

その声は空をして人から人へと伝わり発した時が有であり、あとは無である!

しかしその言葉は相手の心にそのまま入り、残るのである。

これも空の実体たる証である。

精神界は肉体を離れたところの
人の人との、
生命の生命としての本来の実体なのである。

すなわち人の本体は心(識)なのである。

人の肉体は自然そのものの変化したものであり、万物と一なるものである!

それゆえ
自然から生まれ、自然に育てられ、生かされ
形づくられて、
生き、
そして自然に帰るのである。

人よ、
この内容を
ゆっくりと
読み学び、
自分の心、
生命と言うものを考える時を持つことが大切である。

全てへの感謝を忘れずに。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌