『一山の真理!』
一山の登り口が違えば景色もまた違うなり。
されど頂に至りてはこれ同じなり!
この一山をこれ真理正道の山と言うなり。
一山真理の山と登るにその入山入道はこれ、無数無量と立つなり。
その
ゆくところの道、これの違えども目指す頂はこれ一なり、途上に相和す事なきも頂と至れば、ともに抱き合い喜びあいて和してこれ一なり!
この一を知らざるをして相争うは真、哀れの極みこれなり。
友よ、
例えば富士山への登り口はどの位あるだろうか!
『沢山あるでしょうね』と友はきっと答えるであろう。
友よ、
富士山一山にしてかくの如きである。
ましてや真理の山となれば、当然門
は無量とあり、
その登り口も無量とあり、その景色も各々事なりたからと言っておかしくないのである!
頂と、
至ればみな同じ真理の山なれば、
なんら変わりのなかりなり。
その広大の頂の広場に集いた者達こそ、無上等正覚平等大慧を実と知りゆく者達と言うなり。
されば全ての宗の一相・
一味・
一法の義みな和して説くとは知る事なり。
これを忘れて争うから、人はいつになっても哀れなる対立と迷苦をめぐりめぐると知る事なり。
その無知こそゆえに早く脱けよと言うなり。
共に手を取り合いて登れば、もっと早く頂を得て共に平和という果をえられるのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌