『命は中味こそ肝心!』
人間、
どんなに上面を飾り立てたにしろ、その中味がなければなんにもならないであろう!
宗教家は特にそうである。
上面に
どんな飾りをつけ、どんなものを着けても、その中味がなくてはなんにもならないのである。
知識の飾りを上面に沢山着けても、その中味の魂に真実なるもの、信念が入っていなくてはなにもならないのである。
その中味の魂、
心に真実なる命の光が生まれるからこそ、そこに真なる世界が集まってくるのである。
この
中味の方を忘れ、おろそかにして、知識の飾りばかり上面につけて、
なにもできないほど愚かな事はないと言うのである。
その為にかえって、真実なるものを失ってゆくからである。
ゆえに、
飾りではなく、
上面の
知識ではなく、
その心、
その魂に輝くものを持つ事こそ、
肝心である!
それゆえに愛の心を持てと言い、
慈悲の心を持てと言うのである。
『仏像等に祈るのは、その祈る心の方が大切なのであり、中味のない仏像が大切なのではない。
その祈る心が、
その中味のない仏像に命を与えるのであるから!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌