『全てのめざす道!2』
一仏乗も、
一神教も、
本来その一の極を教えるのであり、対立を教えるのではない!
無上等正覚とは最高の悟りの事である。
これは、
上が無く、
上が無いゆえにして下も無く、
上下が無く、
一ゆえに無上と言うのである。
ゆえに
等しいのであり、その等しく正しい覚りなのである。
平等大慧とも教えるのである。
人はゆえに、
一+一+一+一イコ一ル一の原理こそ知らなくてはならない。
この一+一+一+一イコ一ル一の一が乱れると、
全てに影響を与えるのである。
生命もその一が乱れると病むのである。
されば、生命はすぐにそれを正さんと働くのであり、健康とは、
この一と一と一と一とが調和している事を言うのである。
調和ゆえに
健康であり、
平和なのである。
国がひとつの命と考えれば同じなのである!
一の原理の調和が乱れるから、
病むのであり、
争いと苦しみが生まれるのである。
されば、
そこにおいても必ずひとつに帰さんとなして争うのである。
全てが大いなる原理のもとになるのであり、それはすなわち命の営みなのであり、人のめざす道なのである。
国と国もしかりであり、民族と民族もしかりである。
国とは本来、かこいの中に玉と示して、そのかこいを天と示し、その玉を地の球と示すのである。
すなわち、
この地球天地の一国をこそ本当の国と言うのである。
万花が、
花として一であるように、人は人として一なのであり
なんの差別も無いのである。
全てが
神の子であり、
神と至れる命を持っているのである。
それを
神性と言い、
本来の命、
本性と言うのである。
仏教ではこれを仏性と示して、一切衆生悉皆仏性と示し、全ての中に仏性すなわち、真理(神)と至る命があると教えるのである。
人は、
偉大なるこの事実こそ知る事であり
覚める事である。
されば、
くだらぬ争いなどしておれず、
その命と至り帰ることこそただひとつの一大事と知れるのである。
そこへ至りたのが
仏陀であり、
イエスキリストでありマホメットであり老子であり、孔子であり、
ソクラテスであり
数えきれぬ多くの聖人達であり、神と名のる人々である。
宗祖の偉大なる者達はみなそこと至り入りた者達なのである。
ゆえに人はこの事実こそもっと真剣に知る事である。
そして全てが一の世界の完成をめざす命であることを覚めよと教えるのである。
私はその大いなる真理と開き入りて
太陽とひとつになって、この教えを顕しているのであるから。
『一+一+一+一イコ一ル一も、
つまるところは、自然の一より来たりて、また真理の一より来たものであり本来は一なのである。
すなわち、
一より来て、
一と帰るのである。』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌