『全てのめざす道!1』
全てはただ一の世界の完成をめざすのである。
全ての人はゆえに
ただ一の世界の完成とめざす事が命の務めなのである。
その命も、
その国も、
その世界も、
一となりてこそ、その道の完成であり、その一の世界の出発点なのである。
宇宙即我の仏陀は
そこと成道開覚して一となし、
仏陀としての出発をするのである。
全ての宗教も
そのままで、
一の完成をめざし、一となす事が目的なのである。
しかるに
衆生よ、
友よ!
その一を
完成なすに
互いに争い、
潰しあいをしていては、絶対完成なせないのである。
すなわち、
一+一は一という理を知りて、
その一々が一と覚めて大調和する事こそがそのただひとつの道なのである。
そこにおいて
宗教も、
最高点に達して、全ての者が、
大いなる世界と知れるのである。
しかるに友よ、
例えばまた、
国と国もそうであり、民族と民族もそうである。
そのまま、
一+一+一+一イコ一ル一となす原理においてのみ、その完成はなるのである。
それを分け互えて争い、一方が一方を吸収しようとしている以上、
その完成は成らないのである。
国を超え民族を超え大調和する事こそが唯一の道なのである。
この地球はひとつなのであり、
この地球天地はひとつなのである。
太陽宇宙において太陽はひとつなのである。
本来国とはゆえにひとつなのである。
ゆえに
人はみなこの
一+一+一+一イコ一ル一の原理、すなわち、
平和の原理こそ知れと言うのである。
全てはこの、
一+一+一イコ一ル一にして成立しているという実相こそ見る事である
その一と一と一は
形も違い、
性質も違い、
働きも違っていても、その一と一と一が一になってこそ一が生まれるという!
この生命と世界の原理を知る事である。
人の身体も
またそうであり、家もまたそうである。
多くの一と一と一とがひとつにまとまり、一という家が成立するのである。
物も全てそうである。
一と一と一とが重なり調和し、
一の物と成るのである!
作物も、
自然の全てもそうなのである。
一と一と一と一が
全く同じでなくとも調和して一と成るのであり、
成る事で一を成立させるのである。
この一と一と一が乱れ、
対立し、
争いゆけば、
その全てにおいての一々の一は成立しないのである。
一と一と一とが調和してこそ全ての命が成立するのである。
例えば、
テレビを見よ!
一々の部品は異体なれど、その一と一と一とが調和して一となるゆえに、それは平和に成立し命となるのである。
人と人、
民族と民族まさにこれである!
国と国、
まさにこれである。
全てが一の真実とめざす命と覚めてゆくことが大切なのである。
この一+一+一+一イコ一ル一というこの世界の命の原理を乱すから、平和はならず、
苦しみの世界ばかりが生まれるのである。
小の世界から、
大の世界までこの原理をはずれては全て成立しないのである。
仏陀や、
一神大覚なしたる者はこの全ての一を知る者であり、覚めた者なのである。
ゆえに、
宇宙即我、
梵我一如、
神人合一等々と言うのである。
この天地宇宙の生命はゆえにその大いなる一をめざして生きるのである
すなわち、
人はこの世界において、常にその一を欲してまた争う事実を知る事である。
しかるに、
争いではその一は絶対に得る事はできないのである。
全てを超越して大同大乗とかえりて一となる事こそが
その唯一の道なのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌