全ての中に神仏を見よ!1 | 太陽王法の会


『全ての中に神仏を見よ!1』


人は自分中心主義だから、ただ人の形の上で神を見ようとするのである


人はこの天地の中に生まれ、生かされているという事実を忘れて、自分中心主義において考えるのである。

だから、
真実がなにも見えなくなるのである


人の形の神と言うならば仏陀や、
菩薩達として人の世界に示すような人身体の神や仏達の事で、それは人そのものの至る道にして、また、
至れるところの神や仏なのである。

大いなる
世界の神は、
全ての人の計らいなど超えたところにいるのであり、あるのである。

ゆえに人は、
自分中心主義の計らいの物差しをすてて、よく真実を見てみよと言うのである。

されば、
青空と流れる雲、雪、
雨、
風、
雷、
山、
海、
木々、
草花、
すなわち、
天地大自然の中に神の意志を見る事ができるのである。


全てが
神の世界にして、神と知るところにこそ一神教の極理があり、その一神の内になるのが全てと知れば、
そこにおいて多神教の理も理解できるのである。

されば、
そこにおいては自らもまた神の子であり神の一人とわかるのである。

そこと至る為に、大いなる世界、
神の意識と入る事が、成道と言うのである。

梵我一如、
梵神一如、
神人合一、
等々と示すは、
全て
入我我入にして、大いなる意識に自らを入れて、
自らの内に一体させる事を教えるのである。

古来より、
神と至りて神と示す全ては、ここに成るのであり、
その同じ理と成道なすをまた、
仏陀と言うのである。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌