『大いなる創造識!1』
自己の生命の存在を見よ!
その生命の偉大さを実と覚めれば、その存在する命がなんの意思もなく勝手に生まれたと考える方がおかしいのである。
単なる
自然発生的に、
こんな大いなる命は形づくる事などないと当たり前に知れば、その創造識と形成識なくして生まれない事を知るのである。
すなわち、
それをなした神の存在を知れるのである。
何も無いところからは、なにも生まれ得ないのであるから、この当たり前の道理こそ素直に受けとる事である。
人間の生命をよく見つめて見よ!
偶然の一致で、
手足の指が五本になったのであると言うのだろうか!
眼が二つ、
耳が二つ、
鼻と口が中心につらなり、バランスよく作られている!
そしてその内なる営みは宇宙そのものである。
その感覚作用、
心と意識、
その全てが、
単なる偶然の積み重ねで自然発生的に出来上がったと言うのであろうか
この人というものを誰も創造せずして生まれたと言う方がおかしいのである。
生命の形がその形と成るには、
そこに必ず、
創造がまず第一に存在し、その上で形づくられる生命形成識がなければならない!
その形成識があるから、指がきちんと五本になって調うのであり、
全てがそこに形づくられるのである
人はこの当たり前の事実こそもっとよく知る事である。
すなわち、
人は、
人が全ての物を生みつくる時の営みを考える事である。
まず考え、
そこに創造の働きを働かせるのである。
すなわち、
創造識の発動である!
その上で、
形を定め、
その全てを定めて
ひとつひとつ作るのである。
その
形づくる課程が、その生命形成識の働きと言うのであり、ゆえにバラがバラになり、
チューリップが
チュウリップに間違いなくなるのは
、そこにその創造識がまず始めにあり、その上で形成識がうめこまれているから、その形にきちんとなれるのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌