『教育は人をつくるにあり!1』
真の教育とは人をつくることであり
人を生む事である。
例えば、
花を咲かせる木があるとする、
教育とはその花をつくる事ではなく
その幹たる木こそをつくる事である。
花は、その幹に
依存しなくては、咲かせる事ができないのであり、
幹とつくるならば
自ら花を咲かせ、
実をならせて多くの命を生む事なり。
教育とはゆえにこの幹たる木をつくるのであり、上面だけの花を咲かせるだけにとどめるものではないのである。
人として命を生きるに身につける衣のみをつくりても
その裸の人そのものをつくらなくては、なにもならないのである。
人をこそつくれば
その人が自らでどんな衣も、
自在につけられるのであるから。
教育者はこの一事こそ第一に大切にする事である。
花のみをつくりてその花を咲かせる幹をおろそかにしているから、自らをして正しく花を咲かせる人物となれないのである。
ただ
学力のみを養いて
人間としての教育
すなわち、
人物をつくり、
人品ををつくり、人徳をつくり、
人格をつくると言う事を忘れる教育では本当の教育とは言えない。
幹に依存して咲く花は幹のように自らで花を咲かせ、命を生み出す事ができないのであるから。
学力主義の
教育は、
花のみを季節、
季節に咲かせるだけであり本当の命を生む事にはならないのである。
ゆえに、
その花を自らで咲かせる幹たる人物
、人格を生みつくる事が一番の教育と言うのである。
そのためには、
教育者自身が、
自らをつくらなくてはならないのである。
人をつくり、
国をつくり、
世界をつくりゆく事こそが真の教育と知りて教育者自身が人というものを知り、人というものを学ばなくてはならないのである。
そのためにこそ
宗教、
仏教、
神教を真実のところで学ぶ事である。
すなわち、
命を学び、
心を学び、
人を学び、
全てを学ぶのが、真の宗教なのであるから。
養うとは、
良き命を生みゆく事なりて、
育てるとは、
人間形成をなして人を育てる事である。
その
正しい教えをなし
自分を支え、
人を支え、
国を支え、
世界を支える人間をつくる事こそ教育と言うのである。
教えるとは、
伝授する事であり
命から命へと、
命を伝えゆく事なのである。
その正しい命をこそつくれば、
学力学問という衣はおのずから身につけるのであり、真実、身につくのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌