『進化論では神の原理存在を否定しえず!4』
進化論、
これそのままにして神と仏の否定にして宗教全ての否定をしていることを命に知りなさい。
そのような者をして、宗教者とも、宗教を守護する者とも言わぬなり!
この事をよく命の上に見つめ聞けと言うなり。
キリスト教等、一神教の宗教者が、ダーウィンの進化論をもって宗教や神の創造の原理を否定する者達に、なにも正しく答えられないのはいかなることと言うなり。
ゆえに形式宗教に堕落せずして真実の道と帰れと教えるなり。
自らの命で真実としてその命に験われくると知る事なり。
それをなせずして真の宗教と、
この世界、
この命は理解できぬと知りなさい。
ゆえに宗教家としてその道と入るをおこたるならば、真の宗教者とは言えぬなり。
神も仏も実在し、天使聖霊も実在することを決して
疑いたり、
忘れたりしてはならない!
私はその世界と今こうして共にありて獄中独座にしてこの教えを説くと知る事なり。
一仏乗の教えは典型的な一神教の教えでも、凡神論の教えでもあるなり。
例えば
法華経者が、
神と宇宙創造の原理を否定するならば、はたまた進化論を認めて創造の原理たる命の原理、神の原理を否定するならば法華経の本門と申しているところの、
一乗の釈迦、
寿量品の大否定とこれを知る事なり。
ゆえにそれはそのまま大乗一乗の大いなる仏教の全否定にして、かえって仏法破壊の行為と知る事なり。
大日経密門の者にしてはこれは当然にして、阿弥陀念仏者にとっても同じなり。
はたまた、
これは一神教のキリスト教や、
イスラ一ム教や、ユダヤ教においても同じであり、
ヒンズゥ教や日本神道においても、同じなり。
自ら達で自らの神仏を否定するようなことはゆえに、おかしてはならぬと言うなり。
もっとよく
真実に覚めて、
よく法を知り、
命を知り、
道と覚めて、
智慧を獲得せよと教えるなり。
正直の頭に
神の宿りて、
素直な心に智慧の宿るなり。
素直に計らわず、真実道理をありのままにその心鏡に映す事なり。
神仏は心にこそ光を映すと知る事なり。
大慈大悲の心をもって世界を思い、心をおこせ!
その意思の上に神の光の宿るなり。
仏の光の宿るなり。
その使いもまた確実に宿りて、汝に現れくるのであるから。
例えば進化論によりてキリスト教の聖書にある創世記、天地創造と生命誕生の教えが破れても宇宙の原理としての創造の原理は破れるものではない。
神の存在と
宇宙原理、
生命原理は進化論などでは破ることはできないからである。
進化そのものが、その原理の内の一部分の働きにすぎないのであるから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌