蓮華経の本尊!3 | 太陽王法の会


『蓮華経の本尊!3』


日蓮の
父母を示して、
妙日(父)、
妙蓮(母)と名付けるなり。

古来父は天、
母は地と示すに、この天地の一を映して父の妙日と母の妙蓮をひとつに結ぶと知る事なり。

妙とはひとつになる事にして日月一如の明の諦と教えるなり。

天なる日と、
地なる蓮華とがひとつに結ばれて一と生まれたのが、日蓮これと合わせるなり。

この日と蓮華がひとつに冥合して、はじめて蓮華が開くのは、
常に蓮池の蓮華菩薩達が示し続けながら法を説きゆく事を知る事なり。

夜と滅して朝の光明と一に覚めて、蓮華の華を開くのは、その法の命なり。

仏性蓮華またかくと開くと知るべきなり。

日が蓮華と
一如となして一と生まれるに、
日蓮はそのまま、法とひとつの名諦になれるなり。

この法、
実と読めずしては法華経の初門もならぬなり。

すなわち、
太陽大日如来と入我我入一如冥合なさずして、これとならぬと言うなり。

そこにおいて
真実の妙法、
不可思議大法、
神秘深甚微妙の真実を開験実証せねば、その初門肝心たる歓喜地も実と得れぬなり。

これなくして、
真の離垢地無く、離垢無くして
発光地無く、
十地の一も進まぬなり。

この太陽真理の法にこそ依りて実証し、そこに修し行ずるからこそ、
十地も生じて、
十波羅蜜多も一と生ずるなり。

この妙不可思議の秘密、
実と至らず、
実と開かずして、実と理解する事もできぬなり。

この真実至らずして真の妙法蓮華経は体得できぬと知る事なり。

すなわち、
妙法本尊とは、
太陽たる摩訶毘盧遮那にして、
大日如来と知る事なり。

日蓮に秘してこの法と授けるも、
日蓮またこの太陽真実には至れず、今だ真の妙のなせぬなり。

されば、
妙法蓮華経とはいかなるをもって道となし法となすか
よくよく太陽と蓮華に聞けと言うなり。

私、
大日はその法と
至りた実得、
実証者なるにこれをここに示すと知る事なり。


太陽の法嗣

大日   天光子

合掌