2019/03/28 | 太陽王法の会


『太陽の裔の真相!1』


王よ!

かの雪山のふもとに、いにしえよりコ一サラに属し、財宝と勇気とをかね具えたる端正な一つの部族がある。

その部族は「太陽の末裔」と呼ばれ、わが氏族はサ一キヤ「釈迦」としょする。

われはその家より出家したのであって、もろもろの欲望をのぞむがゆえではない。

「王、ビンビサ一ラに答えた釈尊の言葉より」

「小部経典・経集三、一出家経」

ここで示する太陽の裔とは太陽の親戚の意にして、これこそをよく知る事である。

ヒンドゥー教で釈尊を太陽神ビシュヌ神のヘソ、即ち中心より生まれたと示すのも、その成道真理を示しているのである。

太陽とは古来、マハ一・ヴァイロ一チャナ即ち摩訶毘盧遮那、大日如来と言い、その太陽と一如成道し開覚したのが釈迦「月氏」と教えているのである。

大日如来とは太陽神にして、大仏、本仏たる如来を示すのであり、日本神道においては天照大神の合わせ鏡の原理がこれを教え示すのである。

即ち、日と合わせた鏡「命」が月でもあり、その日月一如と成身する「明覚」の理を示すのである。

神道においての御子を、天津日嗣の命と示しているのも、太陽の裔の理を示しているのであり、天照大神の末裔とする天皇を太陽として、その皇子を皇太子と言い、太陽の子としての日嗣ぎの御子と呼ぶのもその道から来ているのである。

古来天皇は天皇霊を宿して賢処において王法を修して、その上で高御座の座「太陽の座」と得てはじめて天皇となりゆくのであり、ゆえに太陽、天皇と会う儀式の中に朝見の儀というものがあるのも、太陽とであいゆく王法の理をそこに秘め教えているのである。

古代のアポロン神も太陽の裔にして太陽神と至り帰りた神を示すのであり、イスラ一ムのアッラ一神もまた、月の神としてのラ一神が太陽神と一つに成身して、太陽神と至りてアッラ一神となったのである。

キリスト教のア一メンのいう祈りの意もまた太陽真理と一つに至る原理をそこに秘めているのであり、
エホバの神ヤハウェ神の神の印もまた太陽王として太陽神と一如と至りた事を教えているのである。

神仙道の東王公も西王母、「木公と金母元君」も、
東の太陽、
西の太陽を示して太陽王法を示し、マヤ文明、
エジプト文明、
インカ文明、
ラ一文明等々沢山の太陽王達もまたその初めにおいて太陽一如と成道してその真理と至り、その王法を嗣ぐ者として、太陽王が成立していったのである。

朝鮮の王も同じであり、朝鮮とはそもそも、新鮮なる朝を示し、朝の太陽、美しい太陽を朝に受けて、その王法と一つになって王が誕生したの
であり、中国においてもこれは同じであり、全ての太陽王、王族の初めには太陽の王法が道としてあったのである。


太陽の法嗣

大日 天光子 

合掌