『釈尊は事の行よりいたる!2』
これは、神秘世界と共に自受証得の修行をまずなしてから、その上で今度は利他の覚行を円満せしめるための智を磨く事を教えているのである。
弘法大師空海は命の庫、自らと成る秘密の庫を開くを第一と教え、自らもはじめに至りた虚空蔵求聞持の法の神秘体験を示しているのである。
法然の
神秘体験も、
親鸞の
神秘体験も、
道元の
神秘体験も、
日蓮の
神秘体験も、
その法道の中に生まれた事実なのである。
みなその体験を基にして一門一派を築いたのである。
無量義経の示すところもその真実を示すのであり、
神秘世界の内になる物語として示しているのであり、一乗仏と一如至りた諸々の仏達を示して教え、大いなる命、一乗の開示を示しているのである。
成道のはじめにこの大いなる命に一如の教道ありて、その修の終わりに大いなる一への誕生がある!
それを毘盧遮那遍一切處たる仏、
大日如来一如の仏の証明という教え「法華経結経」に示すのである。
至らぬ者にはとうてい理解できる事ではないゆえにみな自らそこと開き入りて至れと言うのであり、その修法を示して教え残すのである。
これはよく至りた仏と仏のみがよく知るとも仏は申すのである。
釈尊はゆえに常に神々と共にあり、その身において事としての修行を完成したのである。
その禅定に入りてなすところの修法はゆえに実なる身行なのであり、そこにおいて智慧の修行を常になしゆきて暮らし、
その心、
機根に応じて処々に法を説き、いかにしてこの真実の法道へと導こうか、理解させようかと智慧をしぼったのである。
ゆえに仏法は言葉や文字で修するのではなく、実とその身命と修し道と開き入る事に真実があり、
その修道、
すなわち
道とであい、
道を得て、
道を成し、
自らの命で体得してゆく実践道なのである。
この神秘真実の道と開く事を秘密の庫と開くと言い、密教とも示して教えているのである。
「みな早く覚めて自分の命と共にある、秘密の庫、
命の真実を開き悟りの本当の道を知りなさい。」
太陽の法嗣
大日天光子
合掌
オン・アビラウンケン
太陽と共に。