物価! | 太陽王法の会

『物価!』


物が水の如くあれば安価で人々の手に渡らしめられて
皆を潤し、
幸せにできると考えた者がいる。

しかるに今の日本の現状を見よ!

物は溢れ、
溢れんばかりに満ち満ちているのに
その物の値は高くなるばかりである。

多くあれば当然安くなるべきなのに逆に高くなってゆく!

人は
そんな事を見ようとも
せず、不思議にも思わないのである。

物の少ない貧しい国々の方が
物価が安いという事に気づかないのである。

人によってつくられてゆく流れ
そうした見えぬ糸にあやつられて
苦しみの海をただ働く事に生きる!

皆、
踊らされているのである。

物が溢れる国なら誰が見ても豊かな国なのであろう!

その国が何故物を安く手に入れて暮らしやすく暮らせないのか!

物の無い国の方が安い物価で暮らせる事を誰も不思議に思わないのである。

溢れる物の洪水の中で人々は苦しみあえぎ暮らすのである。

溢れれば溢れる程、高くなる物価に気づかないのである。

溢れれば本来水の如く安くなるのが当たり前なのにである。

溢れる物の中に暮らす者達は、この世界が見えなくなり
自分がこの世界を害する一人一人になっている事を気づかないのである。

物の親たる自然をみんなで破壊して
苦しみへと向かい、向けている事が見えないのである。

その者達は
いつか皆逆転して、苦しむ側の人間、
生命として生まれるのであるのに。

溢れる物の中で
人々は皆、
あやつられ
踊らされて
迷い、
苦しみ、
自らを害し悪し、
滅している事に気づかないのである。

それは
そのあやつる側の人々の糸の中で踊る哀れな人形と同じである。

働き、
働き、
くたくたになって働き物の溢れる豊かな国と作らされたのに、今度はその物価に苦しめられるのである。

本来豊かに溢れれば安くなるべき物が、馬鹿のように高くなっても、気づかないのである。

ゆえに他の国から来た人々だけが、
その異常を心の体で感じるのである。

豊かな国にして、
貧しき国より何故物が高いのか!

貧しき国は何故、
ずっと安いのか!

人はこんな矛盾さえ知ろうとしないのである。

そして
あくせく働き、
苦しみ疲れて、
死んでゆき、
そこではじめてその愚かさに気づくのである。

例えば一本の柿の木に一個しか実がならなければ、それはとても高価な物となりて金持ちが金銀を積みてそれを手に入れるだろう!

その木に次の年、
百個の実をつければ最初の一個よりずっと安くなるのは当たり前である。

千個、
万個と実をつければ、さらに安くなるのは当たり前である。

それなのに
ふえればふえる程高くなってゆく現象と事実が生まれてゆくのである。

天地一杯に
柿の木が満ちれば、誰もが皆、
なんの心配もなく、ただでそれを手にする事ができるのに!

人は
それも忘れて迷い暮らすのである。

あやつられる者達も哀れならば、
あやつる者達も哀れである!

共に苦しみの中に暮らすのであり
あやつる者達はやがて苦界へとおちてめぐるのである。

そこを人は地獄と伝える!

なにゆえにこの天地を一つの国と見て、自然こそを育て豊かにして、一つになって暮らさないのだろうか!

真実の智恵を開いて、人間の命と一つにある真理を開いて、早く覚めて本来の人間と皆、かえる事である。  

物の親は自然、
物の元も自然、
生きた自然を育て生かして分け合えば、調和した世界が生まれるのである。

自然を滅し、
物を粗末にし、
人は幻と富に酔いて真の富を失いゆく!

自然あっての世界、自然あっての物、
生み、
生かし、
育て、
増やす事を忘れ、
物の溢れた世界を造り出し真の豊かさを失ってゆく!

人こそ幻に踊る一番愚かな存在なのである。

全ての民よ!

早くめざめ気づきなさい!


太陽の法嗣

大日天光子

合掌