No.4
「学ぶ楽しみ」
苦があって
楽ありと言う!
悪があって
ゆえに善があるのだから調度よいのであるなどと申する人々がいる。
その人々は、
悪がないとおもしろくないなどと申して悪を正当となさんと論じるのである。
ゆえに善のみでは、なんの面白みもないなどと笑うのである。
その人達は無知ゆえに善の中に無尽の楽しみがある事を知らないのである。
学ぶとは
無尽の如くして尽きないのであり
習う事もまた、
無限の如く尽きないのである。
ゆえに
学ぶ楽しみ、
習う楽しみ、
知る楽しみ、
得る楽しみが広大とある事を知る事である。
一道を学び修して、一生を楽しみても、学び習う事は無量ゆえに億千万年と生きて暮らしても尽きないのである。
人はこの学び、
習う楽しみこそもっと知る事である。
花一つを愛して
そこと学び修して生きても、
百年、
千年と尽きないのであり、それを愛し惚れゆきて学びゆく、習いゆく楽しみこそ知る事です。
されば
悪道と迷いて苦しみの海とまねく事もなく迷道の輪廻も脱けられるのである。
それと知らぬに、
悪苦の海と迷うのである。
道は、
みな広大にして遍くなり!
書も、
詩も、
歌も、
舞いも、
芸も、
音楽も、
彫刻も、
絵も、
華も、
茶も、
武も、
スポーツも、
ありとあらゆる世界が、そこにはあるのである。
それと知る事、
知り得る事、
究めゆく事もまた人の楽しみであると言うのである。
神と仏の道を学び習せば無尽の楽しみが生まれ、自らが神となり仏となりて生きるに優りた楽しみは無いのである。
そこと覚めれば、
悪の道こそ浅くして愚かなる道と知る事である。
みなその因果、
悪因悪果にして苦界悪趣と落ちて正されるのであるから、
善に優りて楽は無いと言うのである!
それこそを正しく知りて暮らせと言うのである。
「無智の挑発に無智をもって答えるは共に無智の苦海と落ちるなり!ゆえに智慧をもってそれを怒り正すは正道なり!
人は道と歩いて道と往くに、光これを持ちてゆきなさい!
太陽の世界で、光を持ってゆくを王道と、これと名付くるなり。」
太陽の法嗣
大日天光子
合掌
学ぶ事は尽きずにある!
その学ぶ楽しみに気づき、生涯永遠と学び楽しみなさい。
そして神として生まれなさい。