責任は自らに有り! | 太陽王法の会

『責任は自らに有り!』


汚されたと言う言葉はなにか!

自らを原因となさずになにゆえに汚れる
汚されたと言うのであろうか。

自らの原因これを忘れて他にばかり、その責任をなすりつけるのは、はなはだおかしな事である。

自らを離れて、汚れる、汚されるはない事を知る事である。

ゆえにその原因こそを知る事です。

騙されるもまた騙される側にも、原因があるのです!

自分にもまた原因あるゆえに騙されるに、自分を忘れて一方的にただ他を憎み恨むのはおかしいのです。

原因は双方にあって、一方のみにあるのではない事をよく見て知る事です。  

なんでも他の責任にしてしまう事なく、自らに責任はなかったのかという観点にたって考え見る事です。

人は自分にも責任があると知っていて、それを隠してみな他の責任として自らを逃れようとするのである。

しかし自分の心は自分が自分に嘘をつけない事をよく知っているのである。

それさえも気づかない者ならば迷いの深き者と言うのである。  

儲かると、もちかけられて乗りゆくのは自分の心である。

その結果
騙されたと相手のみをののしり
怒り、
憎み、
恨むが、
自分の側の原因を、みな忘れるのである。

自分の無智と欲望に覚める事こそゆえに自分に勝つ事と言うのである。

自らを制する者こそが最も強い者なのであるから。

なんでも自分の責任と帰して省みるを、反省と言うのである。

原因は相手のみにあるのではない!

相手と自分があって生まれるのである。
「発見」  

自分を発見する事は自分を忘れる事である。

自分を忘れる事は、本当の自分を発見する事である。

これが自己中心主義
(自我)たる
小さな自分(小我)
より
大きな自分(大我)と至る事である。  

自由とは、真実の自分に由る事である。

無智の迷いをすてた真実の自分に由る事こそを正しい自由と言う!

真実の自己の発見をゆえに自由への道と言うのである。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌