当たり前の事も! | 太陽王法の会


『当たり前の事も!』

当たり前の事は子供でもわかっていると思っているだろうが、その当たり前の事が皆、解らないのである。

ましてや、
その当たり前の事を全て行える人と言えば皆無なのである。
諸々の悪は
なす事なかれ!

諸々の善をこそ行うべしと言えば
三才の子とて言葉では言いえるが
事、行うとなると、八十歳の老人と言えども行いえない方が多いのである。

言いえる事であっても行えるとは言えないのである。

人は、
その当たり前が解らないからである。  

大切にする事を大切にしなさい。

こう言っても
人には
この当たり前が解らない!

この一言を万界万命と広げて説き教える智を仏の智慧と言うのである。

大切という一言一句これを実となし得る人はと言えば
皆無なのである。

人が
この大切にする事を大切にできたら
天上天下、
世界は天国と変るのであり
平和と安心に包まれるのである。

この一つさえ人にはできず、
また真の意味さえ理解できないのである。

例えば
愛する事を
愛するのは
大切にする事を
大切にする事である。

すなわち愛という、大切な心を大切にすると言う事なのである。

例えばまた
苦しめる事を
苦しめと言えば
大切にする事を
大切にする事である。

苦しめる事を
苦しむと言う事は、苦しめる事をやめるという心を大切にするという事なのである。

大切を
このように一つ一つ見てゆけば
大切が少しずつ見えてくるのである。

例えば米を大切と思うならば
その米に関わる一切が大切となるのであり
その一切を大切にする事が大切にする事を大切にする事なのである。

水を大切と思うならば
水に関わる全てが大切となり
地を大切と思うならば
地に関わる全てが大切となるのである。

真の大切を知るならばゆえに
全てが大切と広がってゆくのである。

人には
こういう当たり前の事を知るという智慧が無いのであり
忘れているから理解できないのである。  
説く事は易く
行う事は難し
当たり前の事を
説きても
その当たり前の事ができていない。

知っている事と行う事はゆえに別ものなのである。  

人によって親切にされたら
そのお礼の心で自らが今度は、
他に対して親切な行為をする事である。

人が大自然と万物によって生かされ
守られている事を知ったならば
人は大自然万物に対して
生かし
守る心をもってかえす事である。

それが礼を知る心だからである。  

この世に自分の所有物など無いのである。

それが解らないから執着して苦しみへと向かうのである。

みな平等の
所有物であり
天よりの預かりもの借りものと知れば、それを大切にし
分けあうのが当たり前になるのである。

全ては仮のもの
絶対の所有物は無い!

この真実を知って物を大切にし
互いに分けあって暮らす事である。

人よ!

自らの真実のところは何も知らない無智の自分に気づき真の智慧こそを学び覚めて生きなさい。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌