自然崇拝と背後にある大きな力! | 太陽王法の会

『自然崇拝と背後にある大きな力!』  

自然崇拝者を、原始の古くさい宗教者だなどと笑う者達こそ、永遠に真理の見えない無知者これなり。

全ての顕れている世界の背後にある
大きな力、
大きな心、
大きな意志を覚める事が、密と覚める大いなる悟りと知る事なり。

こは天地大自然のみならずして、一人
一人の命にも、これを見て見なさい!

自らの命の内にあって、その命を命として、
あらしめている力、生かしめている力、その大いなる力、
意志それを知る事がまた、悟りと知る事なり。

命の密、
天地大自然の密、
宇宙の密、
全ての密、
そこにこそ大いなる世界、
大いなる道、
命のあるを知る事なり。

全ては、
この大いなる密の内より顕れた相にして、顕れた一切は悉く密の部分にすぎぬと知る事なり。

自然崇拝信仰者とは、その自らの生命宇宙を含めた天地大自然の一切にある
大いなる道、
大いなる力、
大いなる意志にこそ、信仰する真の宗教者と知る事なり。

全てが、この自然とその背後にある力に手を合わせるを忘れるに、真の命を忘れるなり!

全てが、その主たる親である太陽に手を合わせ崇拝するのを忘れるから、闇と迷して迷苦を生むと知る事なり。

一花一輪を
一花一輪と
生みなしてそこにあらしめ、命と教える命の心こそ早く気づきなさい。

全てが、
そのままに語り、
そのままに見せて教える大いなる道と、命を聞きなさい。

そはそのまま自らの命に映して一と聞きなさい。

大いなる愛と、
大いなる慈悲は、
そこに燦然と輝きださると知る事なり。

ゆえに私は、
この天地宇宙大自然の全てがそのまま、大聖典にして
大法蔵、薩般若
(一切智)の蔵と教えるなり。

この大いなる世界の実相が見えずしては命を生きると申せぬなり。

この大いなる実相が読めずして真の悟りなど得れぬも道理と知る事なり。

ゆえに、
全ての人々は
その命の道、
命の教えを、
大と明かして教える私の教えこそ、
全てを捨てても命に読みなさい!

命に聞いて見なさい。

そこにおいて汝等は未だかって、であいた事のない教えとふれ、大いなる覚めを得れるなり。

それこそが私の正法、太陽の法!

大日教
(毘盧遮那遍一切教)とは教えるなり。

太陽一如にしてなる大神秘を知らずして太陽を崇拝し、
礼拝し、
祈る私達を
笑い輕んじ、
害う者どもは、
天地の大逆者と知る事なり。

そのような者達こそ光を失い、
大闇国と落ちゆく、悲れなる者達なり。

ゆえに私は自然崇拝者を輕んじ、
笑い、
馬鹿にし、
害い誹謗する者達こそ、
天上天下第一の愚か者と名付けるなり。

その者達は自分達がそこに生かされている事を知らない大憎上慢と言うなり。

その全ての
背後にある力、
それをそれと成さしめている意志、
命を命と成さしめている力、
全てを全てとあらしめている力、
それに生かされている事を知らない大迷者と言うなり。

ゆえによく眼を見開いて、諸法大自然の実相を大きく見て見なさい。

そこにおいてよく覚めるならば、全てが輝いて光と一つに見えるなり!

その実と輝やいて
見える世界を、
密厳荘厳浄土、
光明世界と言うなり。  

自然崇拝を笑う者どもよ聞け!

自然崇拝者は単なるその事象を崇めているのではない!

その背後にある
大いなる力、
大いなる意志をこそ崇め拝するのである。

それをそれとしてあらしめている力、
それをそれとして成さしめている力、
その大いなる意志と大いなる力をこそ尊び敬うのである。

よく自然界を見よ!

汝等には当たり前にしか見えぬそれが、何ゆえそのようになってゆくのか、
成さしめられてゆくのか、
よく考えて見る事である。


冬の自然界を見よ!

冬が春と変わってゆく自然界を見よ!

春が夏と成長してゆく自然界を見よ!

夏が秋と荘厳して果々と成就してゆく相を見よ!

その春夏秋冬が一つに成さしめられている相をこそ見よ!

その大いなる神秘にこそ大いなる意志を知るのであり、
大いなる背後の力を見るのである。

太陽が輝き、
この地球天地をあるべくしてあらしめ、なるべくして成さしめている、その相にこそ大いなる存在を見るのである。

よく全ての自然を見つめ見よ!

それがきちんとそのようになってゆく相をこそ見よ!

それがそのままこの天地と一つになって、この世界を営ませている事実をこそ見よ!

水が天地を巡り、
全ての命を生かし育ててゆく。

それがそうなっている事に、
なんの不思議も、
なんの有り難さも感じなくなった者どもこそ自分を見失いた者どもである。

そはその営みの中に自らが生かされているという事実を忘れているからである。

その天地大自然の変わらぬ営みが全て一つになって、
自ら達を生かしめ、あらしめているのみにあらずして、
それがそのまま命の行くべき相、
命のあるべき相を教えている事実を気づけば自ら一人の為にその法が説かれている事に気づくなり!

全ての一人一人の為に大自然は命の法を示すなり、
命の道を示すなり。

このあらしめている力、
あらしめている意志にこそ、
自然崇拝者は手を合わせて尊び、
敬い、
礼拝するのである。

すなわち、
その自然の背後にある大いなる意志と力にこそ信仰を一とするとは知る事なり。

その当たり前に見える世界が何ゆえそうなっているのか、
眼をしっかりと見開いてよくと考えゆけと示すなり。

冬はよく春を育て、春の命と蘇生せしめて輝く天地と色どりゆく。

春は夏と精進成長して夏は秋という大果を成就せしめ、
秋は紅葉に大荘厳して冬とかえてゆく!

人よ、
この全ての自然の見せ続ける一々の相に命これを聞いて見よ!

その
春夏秋冬に見せる
山々、
木々、
草花、
あらゆる全ての一つ一つに命を聞いて見よ!

命を命と語り、
命を命と教えないものは、なにも無きなり。

命教の海、
智慧の海は、
そこにあるを知る事なり。

人、
春と夏の間に、
もし梅雨が無ければ、その果はなんとなるとは申すなり。

田畑は枯れ、
大地は干上がって命の営みは乱れゆくとは知る事なり。

その時人々はあわてふためき、天災と申して嘆き暮らすを知る事なり。

それをうっとうしい梅雨が無くてよかったとか申して、
その果を知らざるに及びては余りにも愚かな事と申すなり。

自然が自然として正しくあらしめられていくからこそ全ては成り立ち、生かされていく事こそ知る事なり。

されば、
それがそれとして、何ゆえにあらしめられてゆくか、よくと考え見よと言うなり。

単に偶然にそのようになっただけと言うならば、愚かの上の愚かなり!

何も無いところからは何も生まれぬは永遠の真理である!

そのようにあらしめられているこの事実こそ、偉大な事と知る事なり。

その一つが欠けても命は災禍を得ると知る事なり。

その大いなる世界を忘れて自然を支配したが如く我が物にのさばる心こそ、
無知無明、
大愚の心と知る事なり。

そのあらしめられる自然の営み無くして命は存在するを得れぬなり!

全ての自然に
生かされ、
守られ、
教えられ、
育てられ、
生きている自分を知れと教えるなり。

その大いなる意志、大いなる力、
大いなる世界を忘れるから人は道を誤ちゆくと知る事なり。
「あらゆる一切が太陽の法と一つである。これを全て偶然の一致などと申すならば、はなはだ愚かな事である。よく現実を見て命のゆくところを見る事である。」

自らの命を含めた
一切の自然、
天地宇宙その全ての背後にある力こそ知る事なり。

そこにこそ、
また大生命界の真実が実在すると教えるなり。

私を私とあらしめている大生命、
全てを全てとあらしめている大生命、
そこと一つの実相生命界、
真実の命の世界が、そこに輝いて実在すると知る事なり。

私はその世界と実と出会い、
語り、
共に暮らして、
今の私と生まれかえると知る事なり。

そここそ真実の命の世界にして、
大いなる真理とこれを教えるなり。

全ては、
この実相界にこそ早く覚めよと教えるなり。

そこにこそ汝等の真の世界が輝きあると知る事なり。


全ての自然崇拝者にこそ合掌

太陽の法嗣

大日天光子