宗を尻の下に敷くな! | 太陽王法の会

『宗を尻の下に敷くな!』  


宗を尻の下に敷くは迷愚の証これなり。

そは宗教と天地これを知らざるがゆえなり。

宗はこれ天なり。

この天、
一切世界、
一切地と開くがその教これなり。

宗光明と開き生じて、万界万道と照すに、その教これとなるなり。

宗は天なり!

教は地なり!

その宗を尻の下に敷きて教を掲げるはゆえに迷道の宗これなり。

一天一明、
本義宗諦
これと知れば
その教は全てにして一なるがゆえなり。

その宗、
天と掲げて分け互えざるがゆえに
賢者智者、
覚者の証これなり。

宗は天にして
教は地これなり!

天とあらわしめる、一切の地、
一切の実相、
すなわち宗教これなり。

宗を
ゆえにまた全と読み天地と読むなり。

そのあらわしめたる一切の教が世界これなり。

諸法実相、
声字実相一切これなり。

宗と教一にしてゆえに、天地一切の実相これなり。

宗教の天地を知り、一切が宗教と知れば、その一を分けて
宗教戦争、
宗教対立をしている世界が
いかに小さく
いかに至らないものか。

よく解るのである。

全ての宗教は
この宗教を天地と読みて一と知らないから、永遠の迷いを繰り返して苦しみを生むのである。

一切の人々は
ゆえに本当の宗教を示して全と説ける者にこそ依りて生きる事が、一番の正しい事と知る事なり。

釈迦は、
その成道の処において
「奇なるかな、奇なるかな。
一切衆生悉く、如来の智慧徳相を具え現しめているなり。」と驚きをもって全てを見るなり。

すなわち
仏教とは
この一切とあらわしめる処の
如来の智慧徳相を説きあらわしめる教にして、そこにおいてこの世界の全てが教となりゆくなり。

されば
仏の宗は全にして、その教とは、そことあらわしめる全てとこれを知る事なり。

釈迦の仏教
即ちその宗教は全にして
一なる宗を開いた教え、全てとこれを示すなり。

ゆえに私は全ての宗教に対して、その宗を尻の下に敷くなと示すなり。

何々宗、
何々宗
「浄土宗、日蓮宗、真言宗と言うように」と尻の下に敷くに、分けて対立が生じるなり。

全てが宗を天と掲げて、宗の一を知り、その下に一切の教が開かれていると知るならば、
対立も争いも
なくなるなり。

ゆえに
神教も仏教も、
宗と開かれた教と知りて、宗の下なる教の一々を知る事なり。

されば一切世界は、この宗教の天地の義こそ忘れてならぬと教えるなり。

そこにおいて釈せば全ては一と帰ると知る事なり。

宗を天(上)に一とおく事を忘れてはならぬと、ゆえに教えると知る事なり。

「宗教の文字をみよ!」
「上に宗を示し
その下に教を示す。
天「真理」は宗、
地「一切世界実相」は教。
宗が開かれて一切が教となる。
ゆえに宗教とは一切と言うのである。」

私は全ての対立者を無知者と言い
宗教対立者、
宗教戦争を、おこし先導する者を大無知者にして大馬鹿者と言うなり。

その全ての愚か者達よ!

その罪の重さ大きさを知りなさい!

天は、その者達に大いなる罰を与えるであろう!!

神を畏れよ!

反省懺悔して、
その罪を悔い改め覚めて生きよ!

神は
その気づきを待つのであるから。

全ての人々よ!

覚めて生きなさい。

私は
その為にも真理と命の教えを説き与えるのであるから。

太陽の法嗣

大日天光子

合掌

オ一ン・アビラウンケン