私と日蓮の違い! | 太陽王法の会

私と日蓮の違い!


天地の地と立ちて、太陽大日を小さき星の如く見る者と、
太陽中尊と登り至りて
そこと坐して地球たる一切天地を見つめ遍照する者とでは、おのずから違いのあるも当然なり。

太陽大日の大きさ、この地の国
「地球」の百倍以上あるを忘れてはならない。

地より見て太陽を
小と見る日蓮等と、
天にありて地球を小さな惑星と見る者とでは、おのずから釈の違いも生じるなり。

太陽は広大なる光をして、天地全てを照らすと知る事なり。

すなわち
宗を分断して光を分ける事などなきと知る事なり。

日蓮は、
地涌の蓮性菩薩の一人として、
地より太陽大日如来と詣で見つめて、自宗の一を興すなり。

故に宗の対立分断をそこにおこすなり。

我は天の太陽大日如来中尊の坐処と登りかえりて、そこより一切の地を一と見つめて一切光明と照らすに、宗の全ても一の光と生みゆくなり。

万山一山をもって互いにあい争わし、
争う日蓮と、
万山一味と照し与えて包む我とではおのずから、違いもあるは道理なり。

我と日蓮の違いは、この大きさの違いとこれを示すなり。

日蓮はゆえに対立独善を説き、
我はその対立の全てを滅して一と大調和せしめる法を説くとは知る事なり。

ゆえに一切の衆生はよくと覚めて、
太陽の坐処にこそ自ら生まれ至りて、
光となれと教えるなり。

我、
大日はそこにありて、一切をそこと至らしめる法教を説きて与えると示すなり。

全ての友は、
また古来インドにて釈迦仏は太陽のヘソ「中心」より生まれた月氏如来と示す事も、
日月の妙
「合わせ鏡
大円鏡智」実と知れと教えるなり。        
「光のよく闇を滅して」  

光は全ての花と咲かせて
全ての闇これを破るなり。

光よく
命の闇これを除いて、命の花を咲かせるなり。

光こそ命、
光こそ道、
太陽大日の光こそゆえに
全ての命のゆくべきところこれなり。

闇王のあろうと、
光来たりてそこと滅する。

闇の国は全て光これによって破れ、
光よく全てを光明へと誘う。

魔王の、魔軍をもってあらわるも
光これをして破れる事これなし!

光よく全ての闇を破りてよく光とかえすがゆえなり。

億千万年の彼方より光、常に闇これを破りて光明の世界そこと生むなり。

魔王、
闇の国と生もうと、ひとたび光そこにあらわれれば、
悉く闇これを破るなり。

魔王の常に光明の剣と持つ者に破れるは古来不変の教えこれなり。

光よく闇を滅するは、宇宙法界の真理これなり。

されば全ての友よ!

汝等の命もまたこれなり。

汝等の命光とかえせば、よく闇の滅して苦しみの世界これを脱けるなり。

友よ!

智慧の剣を取れ!

智泉の井戸より清らかにして尽きぬ天水を汲みて
汝の命これと生みゆけ。

魔軍大軍とあらわるも、そこと至りた汝を破る事あたわず!

よく
無智無明を破るは、智慧光明の剣これゆえなり!

智慧光明の命これゆえなり。

無智故にして
迷い苦しみの世界これを生むなり。

無明の命ゆえに、
闇の世界を生じるなり。

無智無明を破れば、明らかにして光明の世界そこと生ずる。

無智無明こそ
全ての苦の因縁これなり。

これを破るは、
真理光明の智慧これなり。

光よく闇を滅するように光明の智慧、
全ての無智これを破りて、一切をその苦より解脱せしめるがゆえなり。

無智無明は迷苦の大因なり。

されば真理光明の
智慧をもちてその闇こそ破るのが、一切の救いこれなり。

光のよく闇を破り、光のよく闇王これを滅し破るがゆえなり。

闇中に泣き叫ぶ友あり。

ひとたび
光明と注げば
その涙、
歓喜安心の涙と変わるなり。

闇命は苦なり。

闇は恐怖妄想をおこして、迷苦流転の生を生じるなり。

この闇悉く払うは、ただ光これなり。

その闇を無智無明と言い、その光を大覚智慧の光明と言うなり。

無智ゆえに全ては
闇中に迷苦なすなり。

無智にして暗き者達よ、されば救われるべきは汝達これなり。

神の光は、
ただその闇を破るためにあるがゆえなり。

仏の光は、
ただその闇を滅するがためにあるがゆえなり。

罪深き者達よ
汝等の罪はみな
無智なるがゆえに生じるなり。

されば汝達こそ、
実とまた救われるべき命これなり。

その迷苦闇中の命これを救うは、
ただ光これゆえなり。

神仏の光は悉くこれなり。

されば
道者、
賢者、
善知識の示す光こそまた灯明となして、そこより神とかえれと示すなり。

神仏は
汝等のすぐそばで、救いの御手を常に伸ばすと知る事なり。

『天衣無縫』

「天衣は一衣にして無縫なり!
ゆえにこれをして自在衣と言うなり。」

天の衣は分ける事のなきゆえに、
縫い目また無くして一枚衣これと示し教えると聞く事なり。

分ける事なくして
一衣のゆえに
自在の力と示すなり。

これを知らずと、
宗教対立と生き暮らす者どもをゆえに、天衣これを持つを知らざる者と言うなり。

そのような者どもは天の位にも至らぬなり。

天衣は無縫にして、一衣に非らざるがゆえにその者等また、自在を得るもならずなり。

大日如来、
天衣の相これと示して、天衣一印荘厳と示すもこれ、
薩般若自在にして、一切智智の相と示すを知る事なり。

天衣これをめしゆく諸天神々、
一切菩薩、
天人等において、
この理当然の如く皆心となして命となすを知る事なり。

それが天衣を持つ者の魂なると教えるなり。

この示し教える意味をよくかみしめて、宗教宗門対立の、
愚か者達は心と覚めよと教えるなり。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌

オ一ン・アビラウンケン

太陽の法は偉大なり!