神道は王道正法と知れ! 2 | 太陽王法の会

神道は王道正法と知れ!

(その2)


日本とは日の本の
「源」なりて
本が太陽にして
本自
本性
本体
本源なるに
太陽一如の大理を示すのである。

太陽の
道を黄道と言い
王道と示すも
日本人が黄色人種なるも全て道の教えが一つに秘められているのである。

斎蔵としてその命を清め
内蔵をして天なる主「神」の太陽と内なる自身法性
神性とを一と合わせて、宇宙法身
「一神」
としての大蔵
「如来蔵、毘盧遮那胎蔵」と一如成道成身なすに、一神
「一仏乗」
八紘一宇の命と至れるのである。

これが法華で完成した一乗仏たる毘盧遮那遍一切處
「大日如来一如の大日如来」と同じなのである。

ゆえに日本とは、
そのまま法名でもあると知る事である。

太陽の国の
太陽の眷族、
日の本の人にして、日人としての日本人がその宗教
一法、
一味、
一理の成道哲理を忘れて、
その道をそのままに示している日本神道そのものを
悪し
害い
罵り
誹謗なして軽んじる事は
宗道根本の破壊者にして
正法誹謗者と変わると知る事である。

ゆえに
よく真実を知りて、その自己の物指しである小さな計らいの無智を破れと言うのである。

日蓮にはそれさえ読めていなかっただけにして、
この者一人をして本仏などと言う事の誤ちに気づき、
愚かな教えはすてて真実と帰れと言うのである。

「日本神道の真を読めぬ者を仏とは言わない。

一義、
一味、
一法、
一元、
一道これと解せぬ仏があるならば、
虚偽の仏これなり。

途上の仏なら今だ至りていない迷悟の仏と言うなり。

天照大神は仏陀と同じく道を示するに、この道を読めぬ仏ならば、
この私よりも低き仏、至らぬ仏と言うなり。」

例えば日本神道の神々をして、インドの神々、
仏陀、
仏教等々をないがしろにしたら、
これを喜ぶ者達がその国にいるだろうか!

しかるに
日本の国に来て、
インドの神々をもって日本神道をないがしろにしたら同じであろう。

その国々の
文化を大切にし、
宗の道をよく理解して大切にして、
そこに真実を見る事は、
教、
機、
時、
国、
法の
五網の教えを正となしゆく事となる真実の智見と言えるのである。

真実と
成道を
した者ならば当たり前にしてこれ位の事は知るのであり、
実と至りていない者のみがこれを平気でおかすと知る事である。

真の仏ならば、みな全てを見てそこに
一相、
一味、
一法の理を読みて知るのであり、
大日如来の世界とは是くの如きに教えるのである。

これの
わからぬ者達が、
計らいの小智を作して日本神道そのものを下せば、正法誹謗の純然たる者と証するのである。

誤やまたる妄言をして導かれ、
日本神道を大誹謗なした人々に罪は無く「そこと導き誤たし、対立せしめる指導者達の罪は重いと知る事である。」

日本神道の誹謗は、そのまま即仏法の誹謗にして、
法華経、
大日経、
華厳経等々
全てへの誹謗なのであるから、よく真実こそを見聞してその自我欲、
自宗欲、
対立門の妄語に依らない事である。

ましてや日本の民ならば早く覚めて過去の誤ちを悔い改めて深く反省し、
詫びて正し、
その道を大切にするならばみな許されゆくと示すのである。
精神界において、
「太陽王法」と修して実と成道なしたる者ならば、
日本神道、
神教各各
「イスラ一ム、キリスト、ヒンズ一、ユダヤ等々」
仏教、
真言、
禅、
念仏、
題目等々の正道を一味と大覚して説きゆく者となるに、
それらの真実一道を大覚してその誹謗、悪言の数々を全て無くす事をしないならば、
日蓮を仏としては認められないと知る事である。

日蓮の末はゆえに、「不軽菩薩」
と示して、その不軽「一切を軽んぜず」の修行をせよと教えているのである。

その多くを
誤つ日蓮をして、
仏の中の仏、
久遠元初の本仏などと申して天下に示すならば、
日の本の恥にして、天下の恥となるを知る事である。

私は日蓮の至りた法華一乗が今だ至らぬものと知るゆえに、日蓮門世界僧侶信徒において、
この自宗独善、
自讚毀他をなくし、真と覚めかえらねば日蓮を精神界の一切にかけて仏、
一乗仏と成るを認めないと言うのである。

この大愚迷道の無くなりた時にこそ私は一番先頭に立って、日蓮自身に
「蓮生如来」
の号を与え、
その一如と至る者全てにも、
この号を証すると言うのである。

日蓮の法華は釈迦仏の法華とは大きく違うに、
一乗仏、
毘盧遮那遍一切處としての釈迦の法華を全て理解するには今だ無理と示すのである。

ゆえに釈迦仏をして日蓮より低い仏だとか、
日蓮が本仏で、
釈迦は迹仏だとか、日蓮が天上に輝く月であり、
釈迦はその月を水溜まりに映す月だとか言う大妄語の暴言はすて、
そしてやめる事であり、
そのような教えを示す本等は全て捨てる事である。

そはそれこそ
日本の恥、
天下の恥、
無智を天上天下にさらす事であると知って、全て捨てる事である。

正法を持して、
正法と申して、
正法を邪し、
誹謗し、
破壊なす者達を天下一悲れなる者達と言うなり!

そは道の
一相、
一味、
一法、
一義、
一元の大意を知らぬに、
真、
悲れにして悲しき事と知る事である。

日の本の歴史、
日の本の文化、
日本の命たる宗王道、
太陽の王法をないがしろにする事こそ、日本の恥これなり。

神道はその王法大法を示すなり!

日出る国にして
黄金の国とは、
太陽王法大理のゆえに示すなり。

その大いなる
計らいこそ、
人は早く覚め至れと言うなり。

東大寺に示す大仏は日本国の大理大妙にして象徴なり。

天照大神本道王道一味となすも当然なり。

この国、
東の国にして東大寺「摩訶毘盧遮那仏」の太陽と昇りて衆生一切を大覚光明界へと導くなり。

オ一ン・アビラウンケンは偉大なり!

マハ一・ヴァイロ一チャナ

オ一ン・アビラウンケン

「太陽の法」は全てにして偉大なり。

天に
太陽は一つにして、地に太陽の王法を説く太陽は我なり!!

妙法蓮華経とは、
「オ一ン・サッダルマ・プンダリキャス一トラ」
と言います。

「オ一ン」は南無、「サッダルマ」は妙法、
「プンダリキャ」は蓮華、
「ス一トラ」は経の事です。

「サッダルマ」とは、薩達磨!

即ち菩薩達が達磨、法を修して道と見て道と入り、自己を真理と達して磨き悟りと達する事です。

自己を磨き達したら、今度は一切衆生に向かって法を正しく教え、他を磨き達しめる事です。

蓮華とは自他の仏性の事でその内なる蓮華を覚め開き咲かせる事です。

さすれば自ずから経、教えを説ける命と生まれると言う事です。

人からの
借り物では無く、
自ら教えを説けるのは当たり前なのです。

この当たり前が人々には解らないようです。

太陽に帰依して自己の仏性蓮華を開く、ゆえに経、
教えを説ける命と生まれ完成する!

それが日蓮全信徒のなすべき道なのです。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌