誤りだらけの妙法五字の釈説! 1 | 太陽王法の会

『誤りだらけの妙法五字の釈説!』  

(その1)

妙法蓮華経の五字、これをして本尊となし唯一の正法と申して一番大切にする者達が、この法の円輪正教を知らず、誤ちて教えとしめすのはおかしな事である。

その命より大切なる法教をなにゆえに正順ならずしてこれを説くのか!

それはそのままその法自体を実と解せぬ証である。

妙法蓮華経、
この五字を本尊として唱えるに何をもってはじめの音とするのか!

それ妙をもって一となすのは当然なり。

一は妙にして、
二は法、
三は蓮にして、
四は華、五は
これ経となるのは当然であり、
一が二を生じ、
二が三を生じ、
三が四を、
四が五を生じるのが道理である。

されば順円正教と示せば、
妙が法を生じ、
法が蓮を生じ、
蓮が華を生じ、
華が経を生じる!

これを正道と言うなり。

この五位一々が正道とならぬは、これを正しく理解していない証となるのであり、よく真理と開き至りた者ならばこれ位は当然の如く読みゆけるのである。

さればその命の五字と示して、日蓮の御書にあるという五智五仏の配当と示して各各と合わせなすはこれいかなるものなのか!

この正円一々を知らずしてなんの正しい本尊の五字となると証さるなり!

例えば妙法蓮華経をして、
五行と示し、
五大と示しても、
ただ適当に並べるならばその五字の宝塔も立たずしてバラバラになると言うのである。

例えば五字を
五大と示して
妙を「地大」
法を「空大」
蓮を「火大」
華を「風大」
経を「水大」
と示しているのを見るならば、これを五輪塔と立てて見なさい。

地大地輪は五形の
正法形であり

空大空輪は五形の
宝珠形であり

火大火輪は
三角形にして

風大風輪は
半月形

水大水輪は
正円形であり
これを五重に重ねてなせばどんな形と
なりゆくか知りなさい。

当然の如く五輪塔の正しい形と立たぬは当たり前である。

五形五輪五大は昔より五輪塔と立てて示してその命を示すものであり
その形は下から
正四角形
正円形
正三角形
半月形
宝珠形と重ね
示して




空とこれを示し
それと立ててはじめて一命の宝塔
五輪塔と示すのであり五重の塔とて
この理に促してなしているに、これと示して比べて見れば、
その五輪の五重は、妙法蓮華経とはならず、
「妙経蓮華法」
となってしまい正しく命と立たなくなるのである。

この




空は古来より
アバラカキャと示して梵字梵体となしてその意義をそこに示すのである。

墓石とも示すように五輪塔もその為に下から
正方形「地」
正円形「水」
三角形「火」
半月形「風」
宝珠形「空」と重ねて正しく立てて示すのである。

ここと合わせ示せば日蓮の釈分別では正しい宝塔は立たず、その命もならなくなる!

地大正方形の上に
宝珠形を乗せて
その上に三角形
半月形
正円形と乗せて立てて見ればわかる事である。

千年やってもその宝塔は立つ事が無いと知れるはずである。

これを示してゆえに五字釈の一なる誤ちと示すのである。

五輪塔を
五形と示して




空と示すもみな意味のありてそれを示すと知る事である。

人身その命に即して示せば
地輪を膝輪と示し、水輪を腹輪
火輪を胸輪、
風輪を面輪、
空輪を頂輪と示すのであり
五大五相観と
示せば、
地大を腰下と観じ、水大を丹、
すなわち腹と観じ、
火大を心、
すなわち胸と観じ、
風大を眉間より喉と観じ、
空大を頂、頂上これと観じ、
そこに輪宝
「チャクラ」
を一と観じて、
五輪を知るを教えるのである。

これらの修法の意味の解せずしてただ自分達の勝手な計らいで都合のよいように合わせ真似して用いようとするから、
正位正順とならずして誤つものとなるのである。

五大五輪五形を
妙法蓮華経の、
五字と配するな
らば




空と正しく配し立てて五字を一として立て、その意味を解して正しく釈となしゆくをそこに知れと言うのである。

そこにおいてのみこの五字も宝塔宝輪として正しく立つと教えるのであり、
五重の塔を正しく立てられなくして正とならぬも道理と知れと示すのである。

さればまた五形とこれを見れば、
妙「土」
法「木」
蓮「火」
華「金」
経「水」
と示されるに
ここにおいても出鱈目となると示すのである。

先の五大と合わせても
地大は土なりて、
風大は木なりて、
火大は火にして、
金は空大となし、
水大は水となすのが正しき分別なると知るべきである。

妙を地大にして、土と言い、
法を五大では空と示して、五行では木と言うのは一実とならずしておかしな事と示すのであり、
華も風大と金では一実とならず、これもバラバラである。

これと示すのであるならば、まず
地が妙、
水が法、
火が蓮、
風が華、
空が経と正しく示して、そこと合わせて一実に




金と示すのが正しい相と言うのである。



火の三大は一となるのが正しくして
土「肉体」
水「血液」
火「熱」
は一つになりてこそ正と命がなると示すのである。

木は気をあらわし酸素、呼吸、風を示すと知る事である。

火、熱と一つになった水は呼吸という風に運ばれて血液となってその肉体
「土」を巡るのである。

金とは骨にして五行の真を示し、
土は水と一つにして、
水と火は一つにして、
火と風も一つにして、
風と金も一つにして

金と土も一つにして円輪と互いに生じあい、おさめあいながら、一体に関係しあいて一を示すと知る事である。

ゆえにその五字の分別においても誤りであると言うのである。

されば次に五常と示すにそれを見れば、妙「信」
法「仁」
蓮「智」
華「義」
経「礼」
と示されているが、これも五常の言は、仁、
義、
礼、
智、
信、
と示されるのであるから、
妙は仁、
法は義、
蓮は礼、
華は智、
経は信となした方が正諦となるのである。

全てこれ考えなしにただ並べ立てて、
これが全てであると言えばよいのではない事を心と知る事が大切である。

五方位と示して、
妙を中央、
法を東、
蓮を南、
華を西、
経を北と示すはこれは一円正道と示すのである。

中央から
東と生じ、
東から南、
南から西、
西から北とめぐるは正法修体の一円正順の道となるからである。

そのめぐりが、
妙を一となして
法を生じ、
法が蓮を、
蓮が華を、
華が経を生じてその命を完成してゆくという大意が一と成りゆくのである。

この基本にして当たり前の道理を読めずしてはその法は正と立たぬと知る事である。  

続く

太陽の法嗣

大日天光子

合掌