神道は王法正法と知れ! 1 | 太陽王法の会

神道は王法正法と知れ!  

(その1)


天照大神の神体神鏡なる一鏡を見て、
大円鏡一宇、
梵我一如、
宇宙即我の大理悟道を読めなくして、
その者を仏と申するは大妄語である。

大円鏡智、
合わせ鏡とは、
梵我一如、
神人合一、
宇宙即我大道成道への妙なりて、
この真実を知らずしては示す事はできないのである。

たとえば
八絋一宇
「一乗」
と示すも
十二単衣と示して、十二宮、
十二理悉く一如一身と示すのも、
五衣と示して、





また、




水と示すも、
その命に一を示すのである。

神道の三種の神器と見聞してこれを笑って理解できないのであるならばまた仏とは言えず、
その妙法を体得大悟した者とも言えないのである。

八咫の鏡は五智に示する一切如来成道の智である大円鏡智を示すものにして、
「日月一如」
明道の理を命にあかすものであり、
八尺瓊の勾玉は摩尼の宝珠と合わせ示して平等性智、
一切神性
「仏性」
の大慧を示し、
天叢雲の剣とは草薙ぎの剣とも教えて、燃え盛る煩悩の炎を払いまた、
八頭の大蛇の教えを示して、
智慧を示す利剣をあらわし、
妙智妙力、
妙観察智を示すのであり、
蛇心煩悩等をうち滅しゆく明王、
金剛の剣とも合わせるのである。

天照大神とは即ち、仏法大覚一味成道成身の大神にして太陽一如の月氏の如く、太陽と一つになった明諦の神を示しているのである。

即ち、
太陽たる
摩訶毘盧遮那
「マハ一・ヴァイロ一チャナ、古来太陽の事を言う」
大日如来一如の成道を示すのであり、
この大神を、
「大日霊貴尊」と
呼ぶのもそれを教えるのであり、
毘盧遮那遍一切處と呼ばれた釈迦仏と、成道の理は一如なのであり、
一切の如来はこの三角智印
「ピラミットの理にして日、火を現す」一切遍知院をして成道を示すのである。

仏法全ての仏の示すところの大円鏡の理は神鏡を自らの命と示すところの合わせ鏡の理と一つなのである。

華厳法身、
摩訶毘盧遮那
「大日如来」たる、太陽の王道の理に自らを一如
「入我我入」
となして成道し
円輪円鏡、
円教と極めるのは、仏法の極理なのである。

仏はゆえに月氏月輪と示して大円鏡
「合わせ鏡の妙理」の一理を示すのであり全ての仏もみな月輪にその身を住し示して日月一如の理こそを示しているのである。

真に太陽日輪の光
「真理、主」を
合わせ映して輝く月「命」を示してその成道の理を教えているのである。

この当たり前の宗道成道の肝心を読めずして一乗大覚の仏と言うのはおかしな事なのである。

日本の国旗として
日の丸を掲げるのもその理と一つに教えとして秘められているのである。

また
新年に飾る鏡餅も大法の理を秘めてそこになすのであり、
これも合わせ鏡と相対一如の理を教えているのである。

神道の示す
斎蔵、
内蔵、
大蔵の三蔵の教えもみな一つなのであり、
みな真理成道の教えなのであり、
仏法一如なのである。

日本の民としてこの神に対して、
ただの諸天善神の一人にすぎぬと軽んじて、
そこに成る真実を解せず誹謗するならば、それこそまた正法誹謗の相にして、
同時に法と仏を下し軽んじる事と同じになるのである。

神道「神教」一味の道が見えないだけなのである。

ゆえに天照大神と、日蓮を比べて天照大神を低い神と下し軽んぜるは愚かの見本と言えるのである。

神道理が見えずして真の大覚者とも言えず、
これを誹謗なして大理王法を汚し忘れさせんとなすに道をまた大きく誤つものと教えるのである。

梵天、
帝釈天ともに、
この梵我一如、
ブラフマ一の原理をよく知るにこの神を讃えても、
けなす事などなさないのである。

神の世界は法道一味にして仏を生みつくりても、
黙って讃え暮らすと知る事である。

天照大神と神道成身の理の真実をなにも知らぬ者達が、
妄言妄語と作して邪義をとなえている相はこの国を破り、
法を破るも同じである。

ここに示せば
その者達はそのまま正法誹謗者であり、法華経誹謗者でもあるのであり、
全く愚かで悲れの極みと言えるのである。

釈迦仏ならば
この大神を讃えて尊びゆき、
その道を一と示すと知る事である。

これが理解できなくして更に誹謗なすならば、
そこに真の仏は無くましてや一乗本仏など存在せぬと知る事である。

日本人として、
日本の国法王法王道たる日本神道そのものを馬鹿にするのは無智の代表と言えるのである。

日本とは、
そもそも宗教哲理、仏法理一にして神の示する法の一つとなるものである。

国旗
「日の丸」
を掲げて、国旗を降ろしている相はなにを示すかと言えば、内なる命たる神性、太陽法性を朝に掲げて明るく照らし、
夕とおさめて内と磨くその命をそこに教えているのであり、清浄の中にある太陽たる神性を出して生きる命の道をも秘めてそこにおかれているのである。

太陽宇宙、
宇宙の中心「内」に日の丸を示し、
命の宇宙の中心にも太陽たる日の丸
「法性、神性」あるを教えて命の道と真理への道を教えているのである。

仏法に示す、
東方華厳の太陽、
これを命を蘇生せしめる薬師如来と教えまた、
太陽たる大摩尼宝珠を掲げて昇る宝憧如来とも示して、
毘盧遮那一如の仏の相を示し、
西方に蓮華蔵世界、阿弥陀如来
「夕日」を示して、朝に掲げて全てを照らし、
夕に内とおさめて天地一如の諦を教えているのもこれと一つの教えとなるのである。

続く


太陽の法嗣

大日天光子

合掌