対立の迷者! | 太陽王法の会

『対立の迷者!』  


山の下にいる者がその頂を罰せるか!

頂だけにいる者が下を見て守れるか!

山そのものになれぬから人は分け対立して争うなり。

山自身になるからこそ、
その地を支え上と一つに守れるなり!

ゆえにその内なる全てはまた一となしゆく事もできるのである。

これを
「一乗大器の心」
と言い
「悟り」と言う!

これをなせぬ低き世界の宗教が、
常に対立して論じ争うに迷者と言うなり。

頂だ
頂だ
と申しても全ての一を見れず、
その対立の迷より脱けられないのである。

下にいても全てを一つと見て支える者は、全てを知るのである。

上にいても全てを一つと見て包む者は、全てを知るのである。

宗教対立の者どもはみな
この真実を知りなさい。

天地は一なり!

陰陽も一なり!

されば男女もこれ一なり!

これを忘れて二と別けて対立するから迷いが生じて災いも生じてくるのです。

火と水を対立し
木と土を対立し
水と土を対立すれば災いが生じるのは当たり前なのです。

水が火を治め
木が土を治め
土が水を治めるから道は正しくなるのです。

天と地を二分して対立すれば災いが生じて苦しみが生まれてくるのは当然の事なのです。

これは
陰陽においても
男女においても
同じ事なのであるからよく道理を見て、全ての相対を対立せずして一と見る目を養う事です。

これを理解できずに迷いの中に生きて、やたらと対立して暮らすゆえに災いとなり苦しみとなると知る事が大切です。

天と地を対立すれば災いと苦しみが生まれ、
自然と自然を対立すれば災いと苦しみが生まれてくる!






識の六大を調和なして正しく循環なすに道もまた正しくなるのです。






この五行
天地循環
生命循環の原理も
また同じなのです。

この全てが対立すればこの天地大自然世界も命も地獄と化して災いと苦しみを生じてゆく事になるのです。

一と調和して
一が一を生じ
一が一を治め
互いに一と和して、存在するから道もまた正しくなってゆくのです。

全ての相対においても同じであり、
その対立によって災いとなり
迷い苦しみの原因となってゆくのです。
善と悪は対立の教えではなくして本来一道の教えなのです。

ゆえに
対立して見る事も
対立してもちいる事も誤ちとなるのです。

善を善と
知る事は道であり
悪を悪と
知る事もまた道である。

善を善と教え
悪を悪と知らしめ教えるのは
一命一道の教体これである。

善悪はゆえに一命一道の教えにして対立の教えに非ずなり!

これの解せぬゆえにまた迷苦がたえぬと知る事である。

男と女を対立し差別するのは妄教の教えであり、
これは天と地を対立して暮らす事と同じなのです。

その妄教によるがゆえに災いが生じて苦しみもまた生まれてくるのです。

全てそこに正しい道を見て正しく知り、正しく生きる事こそが大切なのであり、全てにおいて
但、調和こそが一なる道であると教えるのです。

調和とは調え和す事にして
和して調える事を言うのです。

互いに言葉を丸くめぐらして
吉となして合い和して一となる事とその文字は語っています。

天地も
男女も
陰陽も
そのゆえに全て正しくなるのです。

相対はゆえに
その中道中心をこそ主軸となして一と正しく見る事が大切なのです。

男に非ずして
女に非ずして
男女に非ずして
その中心
中道において
一と見て
真理本際を知りゆくならば命はみな平等にして一と知りゆけるのです。

これを差別したり、否定したりする事こそが誤ちにして
正義真実の道に反する事と知る事です。
人よ!

「心と心を対立するな!」

「心と肉体を対立するな!」

「自分と自分の心を対立するな!」

「自分と他を対立するな!」

「その命とその心において、自他を対立し争うから災いが生じて苦しみが生じるのである。」

「正しく道これを見て、その道にこそ和して生きよ!」

「その道は中道こそを主軸となして、真実道理を正義となして正しくゆけ!」

「災いも苦しみもそこにこそ滅しゆくのであるから!」

「鳥は両翼をもって正と飛ぶなり。
片翼に執し対立する者達は真と飛ぶ事はできない。
中道を命として両翼を自在になすに、鳥悠々と天空をゆくなり。」

「対立迷者は、
鳥にも笑われる
から愚かな対立
を去れ。
右も左も無い
上だ下だも無い!
よく教えを理解してその無智無明を去りなさい。」


太陽の法嗣

大日天光子

合掌