尊びを知る者は! | 太陽王法の会

『尊びを知る者は!』


尊びを知る者はよく尊ぶを知る者なり。自分と自分の仲間だけ尊いと申して、他の尊さを知らぬ者達はもはや真の尊さを失う者である。
そは無智にして、尊びそのものを知らないからである。
自分を尊いと言い、他の尊さを知らない。
これを尊びを知らない無智なる者と言う。
真の尊さを知る者は他をよく理解し、その他の尊さをこそよく知る者なのであるから。
真の智慧のある者は一切を見る力があるから尊びの真を知る者となる。
しかるに一切の尊さを知り、尊び、それを実と行うを知るから、自らまた尊き存在となる価値を持つのである。
物の尊きを知る者はよく物の価値を知る。
その大切さがわかるから、自らもまた尊いを知るのである。一切にこれを見れるから、智慧が広大と開くのである。
これを大悟、大覚と言うのである。
自分達だけが尊いと思いて、一切の尊さを知らないから道を見る事ができないのである。
一切の尊さを見る者は、そこに真理を見つけて全てを一へと連ねる事ができるのである。
自分の尊さを知る者は、よく本当の自分を知る者である。
他の尊さを知る者は、よくそこに道を見れる者である。
これをよく成せるから、自ら尊ばれるに値する者と高める事ができるのである。他の尊さ、その真実が何も見えないから、その尊びを忘れるのである。
これを無智と言う!ましてや自分の無智盲迷を忘れて人の言葉に乗せられて、尊き仏や、聖人、そして神をも非難、卑下する者は、一切の尊びを忘れた人であり尊びを失う人と言うのである。
他をよく知れば、それと比べて自分の生命のあり方を恥じる心を知る。
ゆえに尊ぶという心を、そこより得るのである。
されば、その人はそこよりまた尊ばれるに価する人の道へと入る事になるのである。
一輪の花を心より尊ぶ人は、花全てに尊ばれる人である。
尊ぶとは、このように相手をよく知るところから始まり、それが自分を高め、尊ばれる者となさしめるのである。
尊ぶから尊ばれるのであり、尊ぶを忘れて自分ばかり尊いと主張する者は、その根本を知らない者と言うのである。
これは宗教において特に多いのであり、全く哀れにして、悲しき事である。
自宗のみを尊いと言い尊びて、他の尊さこれを知らずと迷えば、この尊ぶからこそ尊ばれるという真実から遠ざかるのである。
みなこれ道!
道にして尊く、そこここに皆これ尊いのであり、尊くない者など本来無きを覚めて知る事である。
一乗界の一乗の命と申すのは、これとならずして真実とはならないのであるから。
高きは高きにおいて尊く、低きは低きにおいてまたこれ尊く。
皆、道々にして是れ尊い。
一切の尊さを見て、それを尊べる者は、真実なる尊びを一切より得る者となり、それに価する者となりゆくのである。
仏の尊さを知らぬ者はこれを卑下して、そこより遠ざかるのである。
その尊さを知る者だけが、そこに道を得て全てを得る事ができるのである。
宗教において自らの宗教に驕りて、他宗教のその神、その仏を尊べぬ者は、なにも得る事は出来ない。
しかるによく人の正しい道の心と立って全てを尊べる者は、そこにいってまた全てを得る事ができるのである。
迷者はそれができないから、永遠にそれを得る事ができずに迷いの中に暮らし続けるのである。
尊びを知るから、それをまた得れるのであり、尊びを知らないからそれより遠ざかるのである。
されば永遠に、なにも得れずに迷いの中に罵りと、卑下と、誹謗を親として暮らすのである。
これを宗教を分けたがえて争い、争わせしめる大迷なる者と言うのである。
智慧ある者は裸になって自分を見つめ、全てを自分より尊いと見つめるから、全てにむかって尊びの目が開くのである。されば、尊ばれる世界がよく近ずきてまた、その者に道を開くから、その者は更に偉大なる智慧と至れるのである。
尊ぶから近づき、卑下するから去る!
全ての仏、全ての神、全ての法、全ての命を尊びて、そこによく正しい目、正見を持って道を見れば、全てまたそこに生まれて一つとなるのである。
これを知らずに卑下誹謗を繰り返す者は、それを得れず失うばかりか、自分の世界の真実さえも、そこより失いゆくのである。
自分の立場を見れずと、他宗だの、他仏だの、他神だのと申して、それを悪口悪言、卑下誹謗なして、自分達だけが尊いと思っている者があれば、最も迷いの深い者達である。
そは、自分とその仏、その神、その聖者聖人とを比べて自分の方が尊いと勘違いして気づかないからである。
これ程の増上大迷は無きゆえに、その者は尊びそのものを失う者となるのである。
一神教、すなわち一神乗の至るところは全ての尊さを知る事である。
全ての一神教においてこれが理解できないのであるならば、一神の意味も、命も、世界も知らないという証である。
一仏乗、一仏教の至るところもまた全ての尊さを知る事である。
全ての仏教においてこれが理解できないのであるならば、一乗の意味も、仏の命も、真理も、世界も知らないという証であり、大悟とも、大覚とも言えないのである。
神の天地は神の命!神の命の内は皆本来神!
大いなる一の命の内に乗り成り立つ命、皆尊いのは当然である。
一乗の仏の胎蔵とある命また本来仏、一切衆生、山川草木世界悉く皆仏性有り!全て仏の命の験れ、皆本来尊いのは当然である。
大いなる神仏と一つの命!
ゆえに全ては尊厳ある命なのである。
尊び、尊びあう命を生きなさい。
皆、尊い命なのであるから。


合掌

オ一ン・アビラウンケン

太陽の法嗣

大日天光子