大いなる命の真実! | 太陽王法の会

『大いなる命の
大いなる真実!』  

仏陀は、
その悟りにおいて、宇宙即我と言ったのである。

宇宙即我とは第一義諦の悟りにして大いなる一の命の悟りである。

されば、
その宇宙即我の仏陀の命が命であって、その本体であるところの宇宙が命では無いと言う事はないのである。

その、
宇宙という本体、
大いなる命と一
と至り悟りたから、仏陀は自らをして、その命を宇宙即我
と言うのである。

仏法者がゆえに、
その仏陀を大い
なる命と認め、
その宇宙本体を命と認めないならば、
言語矛盾となりゆくのである。

大いなる命が本
体にあって、
そこと帰入成道
して大いなる一の悟りを得るから宇宙即我第一義諦の命と生まれるのである。

即ち、
真理法身たる大
いなる命、
神と一如をして
一と生まれるか
らこそ、
これと言えるの
である。

これ即ち成道神秘広大の門において修し験証する悟りの世界の真実である。

天地宇宙と一つになって大いなる命の法を修する。

この不思議真実ゆえに至らぬ者には到底信解ならぬと言うのである。

この大いなる識
の世界に実と至
るゆえに、
かくなる境と至
れるのである。

ゆえに仏法者が
、大いなる命の
存在を否定するのは、
そこにおいて誤ちとなるのである。

この成道の初め無くして仏陀は誕生する事はないのであるから。

この、
大いなる真理
『神』
と境地冥合する
からこそ、
そこにおいて十地
の教えに示する、
第一地たる歓喜地
を実と得れるの
である。

そこにおいて流
した涙によりて、
真実の開眼をな
せるのである。

これ無くして、
仏陀は誕生せぬ
と知る事である。

大いなる命と帰入
して一となるに、
これをまた入我我入と言い、
梵我一如、
神人合一等と教
えるのである。

一神教では、
この境地をして
唯一神の悟りを
得れるのである。

されば宇宙即我
の一仏乗大悟の
境地も、
唯一神大覚の境
地も、
共に至りて同じ
なのである。

この世界は大い
なる命、
識心の世界ゆえ
に、
これを否定した
ら仏教も、
神教も、
共にならぬと知
りなさい。

されば仏陀は、
大いなる命の世界たる真理と至りた者なるに大覚者と言い、大いなる神との合一者としての神ともこれを言うのである。

仏陀とはゆえに、
神の号において最たる尊者の名号、
これと知る事である。

仏陀とは、
ゆえに神本来の
相を示すのであ
り、
古来より仏陀を
して、

「天中の天」、

「神中の神」、

「超神」、

「アディダァヴ
ァ」

「ダァヴァティ
ダァヴァ」、

と呼ぶのである。

唯一神教の世界
においても、
ゆえに仏陀を分
けて考えるのは
誤ちなのである


仏陀こそ、
その一の一たる
命、
第一義諦の大覚
者にしてその境
地を説き示す者
なのであるから


仏教がゆえにまた大いなる命を否定するならば、
仏陀成道の肝心を失い、
宇宙即我の悟りの境地を失い、
一仏乗大乗の大いなる仏教の教えの全てを失う事になるのである。

真に、
華厳経、
法華経、
大日経、
密教等の全てを
失う事になるの
である。

ゆえに宇宙即我
の命と悟りたの
が仏陀と知りて
いるならば、
その本体を命に
非ざると言う事
の誤ち、
これを知る事で
ある。

大いなる命の大
いなる世界、
そこと覚め至る
のが仏教にして
神教にして、
宗教の全ての極
みと知る事であ
る。

ゆえに
神教と
仏教は、
もっとよく道理
に覚めて、
共に争わず大切
にしあいて、
一とその命を磨
き磨けと教える
のである。

私は自らをして
そこと成道して
験証し、

これを説くので
ある。

天地宇宙大自然の説く大いなる法こそ人はよく眼を開いて、そこと読む事である。

全て人々に、
その命の道、
命の教えを示し説くと知りなさい。

されば私の示し
あらわす万教悉
くを見聞し、
全ては命と修し
なさい。

それが全ての命
の為の道にして、
救いと成るので
あるから。      

形は形成に依り
形成は形成識に依り形成識は創造に依り創造識は創造主に依り、
この識心に依り
て全ては成る。

されば、
その識心こそ大
切なしなさい。

命の営みの全て
がこの識心の営
みと覚めて、
命を生きなさい。

この世界は命の
世界にして大い
なる識心の世界
なのであるから
。  

創造識は
形成識を生じ、
形成識は形成を
生じ
形成は維持保存
識を生じ、
維持保存識は
破壊再生識を、
また生じる。

これらの識は、
また全て初めの
創造識に帰一し

その識は、
その創造主に帰
るのである。

なにも無いとこ
ろからは
なにも生ぜず、
全て有るところ
から生じて成る
のである。

されば形有るも
のは形成識が無
くして生ぜず。

その形成識は
創造無くして生
ぜず、
その創造は創造
識無くして生ぜ
ず、
その創造識はそ
の識無くして生
ぜぬをよくと覚
めよと言うので
ある。

この世界は、
ゆえに大いなる
命の大いなる識
心界と知る事で
ある。  

この命の全ては
識心の営みであ
る。

この世界の全て
も識心の営みで
ある。

その大いなる命
の世界こそ人々
は覚めなさい。

されば、
そこと帰りて識
心こそ道と帰し
て大切に生きる
事を知りなさい


識心を正道と帰して命を生きるに、
その色としての命も正しくなると示すのである。

識心の世界にお
いて、
その識心が正道
と帰ればその命も、
その世界も、
全てが正しく帰
るのである。

されば人々は、
自己ね識心を道
と帰して全ての中に天国浄土、
極楽浄土、
天の楽園をつくり
生きる事である。

真実の世界は、
その識心において、全て帰ると知る
事である。

友よ!
人々よ!
全ての命よ!
知る自然に語り
かけよ。

されば自然もそ
れに答えん。

友よ!
人々よ!
全ての命よ!
太陽に識心をも
って語りかけよ


されば大いなる
命そこに開かれ
ん。

人々よ!
全ての命よ!
この世界は識心
の世界なりて命
の世界と知りな
さい。

仏陀は精神界の
神と神々の中に
入って王となっ
たのである。

ゆえに禅定瞑想
をもって出入自
在に道をなすの
である。

識心界の大いな
る道を早く覚め
なさい。

その上で、
目の前になる現
実世界を導き生
きるのがその道
の肝心であると
教えるのである


合掌

太陽の法嗣

大日天光子