何の為に生まれ! | 太陽王法の会

『何の為に生まれきて!』    

餓え苦しむ国の民は餓え苦しむ為に、
この世に生を、
うけたのではない。

餓え死する為に、
また生まれてきたのではない。

苦しみ、
死ぬる為に、
この世に生を、
受けたのでもない。

生きる為に、
この世に生を、
受けたのである。

世界の、
富栄える民は、
人間として、
それを見過ごしてはならない。

足りるを知りて分け与えるべきである。

救いの手を、
さしのべるべきである。

人間として、
この世で、
人の命こそ、
最も尊ばなくてはならないのであるから。

命の尊さ、
命の大切さを、
知らぬ人はいないはずである。

自分の、
命の尊さを、
誰でも知っているのだから。

自分の命が、
尊いように、
他人の命も、
尊いのである。

餓える人々を、
苦しむ人々を、
自らの身において考えて見よ。

自分が、
その立場に、
生まれ得なかった事を喜ぶべきである。

そして皆で、
恵まれない人々に、手をさしのべるべきである。

人は人として、
平等に生き、
天地の恵みを受け、生きる権利があるのだから。      

人は、
餓え苦しむ為に、
生まれてきたのではない。

互いに働き、
天地の恵みを、
分け与え合う為に、生まれてきたのである。

人は傷つけ合い、
恨み合い、
憎み合い、
悲しみ苦しむ為に、生まれてきたのではない。

互いに思い合い、
愛し合い、
大切にしあい、
助け合い、
喜びと幸せを、
分かち与え合う為に生まれてきたのである。

人は、
戦争をしあい、
争い、
傷つけ、
殺し、
滅ぼし合う為に、
生まれてきたのではない。

互いに助け合い、
大切にしあい、
幸せと平和な、
世界をつくり、
共に喜びを、
分かち合う為に生まれきたのである。

人は喜び幸せに、
生きる為に、
生まれてきたのであり。

悲しみ、
苦しみ、
そして、
死する為に、
生まれてきたのではない。

人生心正しく、
明るく楽しく、
生きる事にあり。

苦しみ、
死ぬる事に、
あるのではない。

人は、
全て人として、
平等なのである。

全てが、
心一つにして、
助け合い、
共に働き、
幸せと平和を、
めざせば、
この世界は、
素晴らしき、
天地となるのである。

全て、
これ、
人の心なのである。    

あい争い、
戦争をする、
国の民は、
傷つけられ、
苦しめられる為に、この世に生を、
受けたのではない。

殺され、
滅ぼされる為に、
この世に生を、
受けたのではない。

そして、
生まれ得た大地、
故郷を追われ、
滅ぼされ、
流れさまよう為に、この世に生を、
受けたのでもない。

人として、
生まれ得た事の、
喜びと幸せを、
心から知る為に、
この世に生を、
受けたのである。

あい争い、
戦争をする、
国の民は、
戦い争う為に、
その生を、
受けたのではない。

人を殺し、
人に殺される為に、この世に生を、
受けたのではない。

大地を、
自然を、
村や町や国を、
そして、
世界を滅ぼし、
滅ぼされ、
滅し合う為に生を、受けたのではない。

人として、
互いに愛し合い、
思いやり合い、
助け合い、
幸せと喜びを、
知る為に、
この世に生を、
受けたのである。

人は幸せと、
喜びを知る為に、
この天地を、
幸せと平和にする為に、
この世に生を、
受けたのである。

それは、
人と人の心が、
できる事なのである。

全ての人が、
心覚めて、
心一つにすればできる事なのである。

人と人とは、
あい戦い、
殺し合う事ではない。

人と人とは、
あい戦い、
死する事ではない。

人には、
心があるのである。

人と人とは、
愛しあい、
思いやり合い、
大切にしあい、
そして助け合い、
みんなで幸せと喜びを分かち合い、
平和社会を、
つくる為に生まれてきているのである。

生きているのである。

人は、
その為に存在しているのである。

人には、
それができるのである。

人よ!

この事を早く、
知るべきであり、
早く気づくべきである。

みんなで、
心一つにして、
幸せと平和な世界をつくるべきである。

地球という国は、
一つなのであるから。

合掌

太陽の法嗣

大日天光子