5日目は奈良市から宇治市、京都の清水寺までの行程となる。

札所9番興福寺南円堂に午前8時50分に到着。奈良市内へ向けての通勤渋滞に巻き込まれた。猿沢池が目印になる。駐車場は奈良公園側から入る興福寺の駐車場に止めるしかない。

西国巡礼とはつながらないが、薬師寺に立ち寄ってみる。午前9時30分薬師寺に到着。時間が早いからか駐車場も境内もスカスカで、静まり返った空気の境内に納得した感がある。薬師寺にはいろいろとご利益があった。

 

奈良から木津川沿いの道を走って宇治に入る。札所10番三室戸寺には午前10時50分に到着。参道へ入るところにバイクの無料駐車場があった。紅葉が見事なお寺だ。

 

札所11番上醍醐寺には11時30分に到着。安土・桃山時代という京都桃山にあるのが醍醐寺となる。豊臣秀吉が栄華を極めた茶室が有名なお寺だ。広大な敷地は天守も堀もないけれど兵を動かす城としての配置を思わせる。

 

JR伏見稲荷駅前の一方通行を走る。バイクでなければ路地をスイスイ走ることはできない。伏見稲荷もインバウンドで満員御礼だった。

 

札所15番今熊野観音には12時20分に到着。京都伏見区に位置する。道路も狭く、手軽に立ち寄れる環境ではないのだが参拝者で賑わっていたのは意外だった。

 

お昼はうどん屋で済ませ、札所16番清水寺には午後3時に到着。駐車場は観光バス(要予約)とバイクだけが利用できる。インバウンド対策とのことだ。京都の移動は駐車場のことを考えたらバイクに限る。いうまでもないインバウンドで大混雑だった。日本なのだが英語と中国語が共通語であった。

この日は、人ごみにもまれて疲れた。京都は予約が取れず、宇治市内に宿泊した。

明日に続く

4日目は和歌山から大阪、そして飛鳥地方へと向かう。和歌山と大阪の境となる鍋谷トンネルは約3.7キロ。原付2種は通行可能でよかった。

札所4番施福寺(槇尾寺)には午前8時30分に到着。駐車場の先で入山料を支払い、そこから約20分の上り坂だけのハイキングコースとなる。西国巡礼最大の難関ともいわれる。急がなければ問題ない距離だろう。

 

続いて札所5番葛(ふじ)井寺には午前10時に到着。山門に直通する道はバイクなら問題ないがワイドな普通車なら通行できない道幅だ。駐車場はコインパーキングだけ。バイクが路駐できる道幅はない。

 

西国巡礼のメインともいえるかもしれない、札所6番壷阪寺には12時30分に到着。途中、明日香村の甘樫の丘に立ち寄りコンビニ弁当で昼食。ここから見る飛鳥三山(香久山・畝傍山・耳成山)もバイクで来た目的だ。そして壷阪寺は眼病封じの観音様ということで、御身拭き手拭いで観音様の右膝を拭きながら願をかけるというもの。手拭い1枚1000円だが金額の問題ではない、それぞれ病気平癒を願い行列ができる。

 

札所7番岡寺には午後2時に到着。道路に案内表示が無いのでループする道を通り過ぎ有料の駐車場を利用。休日の秋晴れ紅葉見物の観光客で駐車場は満車。

 

札所8番長谷寺には午後3時に到着。駐車場待ちで長い渋滞。バイクですり抜けも逆走もできない狭い路地。駐車場でスムーズに案内されたのがバイクの強み。399段108間の登廊(のぼりろう)はドラマのロケ地になっている。

 

番外、法起院は帰り道の途中にある。バイクで移動する必要はない歩いてすぐだ。駐車スペースは皆無。第4日目は桜井市のホテルに宿泊した。

明日に続く。

3日目から巡礼のスタートだ。札所の番号通りに巡礼することはなく、地図で道路を選択して国道をメインに走る。新宮市から那智勝浦市へ、そこから那智の滝を目指していく。午前8時前に到着したら、駐車場も門前の店舗もすべてオープン前ということで止む無く路駐。後から到着したVストームのライダーと合流して札所1番青岸渡寺へ。入口を間違えたので迷子になった。四国遍路では本堂とか大師堂と看板があったのだが、西国は少し要領が違う。無事に参拝を済ませて御朱印をいただく。2024年の4月より500円になっている。

 

紀伊半島の海岸線を走る。距離としては遠回りだが間違えようがないことが重要だ。御坊で昼食・休憩をとり、午後2時30分に札所2番紀三井寺へ。途中、有田を走行中に風防のステーが折れてしまった。風防を外すためにみかんの直売所前に停車し、5キロ入りの有田みかんを2箱購入しながら補修を済ませた。この有田みかんが大正解で評判がすこぶる良かった。紀三井寺はバイク専用の駐車場がある。そして和歌山電鉄の2代目駅長(たま)に立ち寄り、午後4時に札所3番粉河寺に参拝。この日の走行距離は256キロ。千葉からのトータルは1000キロを超えた。宿泊は隣接する旅館。

 

ここの女将は千葉に恨みがあるようだった。和歌山・紀州と千葉・房州は、辺境の地東国(江戸)の貧相な食料文化に、京・大阪の食文化を導入させるため徳川家康の号令で多くの職人を移住させた歴史がある。そのために紀州は千葉に優秀な人間を取られたというのだ。昭和40年頃までは私の暮らす小さな町でも、みそ、醤油、酒にはじまりその殆んどが先祖は紀州の出身であった。中には高野山奥の院に墓を持つという大名並の家もあった。町人とはいえ苗字帯刀が許され旧士族であった同級生の家もある、とはいえ栄枯盛衰だ。そんな昔話を起源に頭脳の流出を嘆いていたわけだ。紀の川沿いは桃と柿が有名な土地だ。遍路で高野山に向かうとき桃を食べ今回は柿をごちそうになった。

明日に続く。