もともと自転車で旅行するのを趣味にしていた。北海道は25歳の時に連続休暇を3か月前に会社に提出して8月に3週間ほど自転車で走った。山岳縦走の装備を持ちキャンピング使用に改造した重たいランドナーでひたすらペダルを回して走った。行き先が同じなら他のサイクリストとコンボイを組んで走り続けていた。今のようなバイパスがある訳ではなく一般国道を大型トレーラーと並走しながら走っていた。そんな北海道は多くのライダーやサイクリストが交通事故に遭遇していた。危険と隣り合わせの大冒険という感じだった。本州と違うのは峠の坂道がなだらかだったことだ。まだ未舗装の国道もあったが、昔の時代というか基準からすれば走りやすかった。アブの大群に襲撃されたり、キャンプ場は一晩中賑やかで戦場のようだったが平気だった。市街地の公園でテント泊しても咎められることはなかった。むしろどこから来たのかと旅人を歓迎する雰囲気が心地よかった。

 

四国遍路を自転車で走ったとき、その歓迎される雰囲気を味わうことができた。旅行者を経済的に扱っていないことが心地よかった。そんな四国の道を走りながら、40年前の北海道を走った感覚がよみがえった。実は、本州も九州も自転車で走っていたのだが四国だけは走る機会がなかった。それもあって遍路を選んだ。

歩き遍路というのは身体を傷めつけることで非日常を体験しながら自身を見直すとか、苦行によるスピリチュアルな体験をすることで心身を強くしたいとか。何よりもそういった達成感を味わってみたいと思うならお勧めする。とはいえ目的は人それぞれだ。

 

私は性格的に行き当たりばったりというか、何とかなるといった心理状態でプランを催行することは性に合わない。やるなら実現できる自身のレベルをわきまえて臨むことになる。無理をすれば何とかなるでは、ならなかった時の挫折感が大きくなるだけだ。もちろん外的要因などのハプニングは十分に起こり得ることだ。それも加味してということになる。想定外が発生したら引けばよい。そんな考えも必要である。

 

さて、プレ四国遍路の往復は東京・徳島のフェリーを利用する。そして、室戸方面から高知・宇和島は歩き遍路のコース上に位置するのでバイクで走る予定はない。主に徳島の山間地から伊予灘までを予定している。日程は4泊5日+フェリー往復の日程でなんとかなる。季節的には雨の少ない頃で、11月下旬ころが良いのではないかと考えている。何せ、自転車遍路の時は行程の半分が雨であった。最初の徳島は三日間とも雨、しかも山は豪雨で鶴林寺の坂道は滝のようだった。自転車はヒルクライムには強いがダウンヒル(落ち葉と玉石の簡易舗装)には苦戦した思いがある。雨はテンションも下がるので、長期予報をにらみながらの計画となる。

私は来年(2027年)から四国の歩き遍路を催行しようと考えている。今は日々歩くトレーニングを実施している。

なぜ来年か?疑問が出る。実は前回(令和元年結願)四国遍路を自転車で結願をしている(区割り5回)。当時はアルバイトを併用していたので寝台特急で往復し、なか三日というタイトなスケジュールを組み特に連続するヒルクライムを楽しみに走ってきた。

というのもそれなりにしっかりとシミュレーションを取り入れたトレーニングをしていたので想定通りで特に辛いことは無かった。

 

歩き遍路も区割り(6回)で催行する予定だ。70歳になる今は無職なので、なか六日という日程を予定している。歩くのは結構つらい。ゆっくりと休みながらでは日程も時間も必要になる。それはそれで困らないのだが、やはりテンポよく楽しく歩きたいものだ。そのためには日々の鍛練は絶対に必要になる。

予定では一日平均35キロ程歩く、連続して6日が限界ではないかと想定している。

歩き遍路で足が痛いとか辛いとかは自慢にはならない。第一に修行が目的ではない。できればツアーバスや自家用車でサラッと遍路するのが望ましい。今度は歩き遍路?年よりの冷や水と言われないためもある。

 

その前に、今年の秋に計画していた日本海バイクツーリングは取り止め、プレ四国遍路を計画しようと考えている。手段は西国・坂東観音巡礼をノントラブルで働いてくれたクロスカブ(原付二種)を予定している。プレというのは別格札所(20ケ寺)をある程度参拝しておこうというものだ。自転車の時は無理だったのだが、歩き遍路でもコースから離れた寺院が多くある。約10ケ寺を目標にバイクで別格札所巡礼を実施する予定に変更した。

別格札所で特に難所と思われるのは、別格1番太山寺、別格3番慈眼寺、別格7番出石寺、別格13番仙龍寺、別格20番大瀧寺は、歩き遍路のコースから完全に外れてしまうので別途カバーが必要になる訳で、そこをプレ四国遍路で事前にカバーしておこうというものだ。ま、基本はバイクツーリングしたいというのが第一になるのだが、巡礼とか遍路というのは理由づけとして納得させることになる。