まだ20歳になったころの話だ。手相占い師に「新宿の母」という有名人がいた。週刊誌やTVにも出演していた。新宿で買い物をした帰りに、知人の女性が興味本位で占いをお願いした。結果は驚愕で「男を不幸にする」(凶)だった。彼女は立腹しながら占い部屋から出てきた。それはそれで笑い話として自然に忘れていた。それから2年後、彼女は結婚すると宣言した。「おめでとう。相手は?」まだ決まっていなかった。話はあっという間に伝播した。3か月後、おとなしめの学級委員長だった同級生が名乗りを上げた。大丈夫か!結婚生活は半年だった。

それから数年、彼女の悩み事を聞く役目を担う。私も言葉の使い方、考え方に慎重になった。受動的ではなく能動的に、観念的ではなく客観的に、他力ではなく自力に、と思考力を心がけてきた。

 

世の中には根拠のない話に囚われてしまう人々が多い。大統領が、政治家が、テレビが、週刊誌が、SNSでバズるから。民主主義は非科学的であっても多数の原理が優先される。話の背景など問わない、群れるサルは常に多数に身を置き分相応と肯定すれば自己完結できる。自然界で弱い者は群れることで保身を保つ。群れることは自然の成り行きだ。しかし人間は群れることで他者を駆逐してきた歴史を忘れてはならない。

 

現代は、猜疑心の強い政治家が自己陶酔に溺れている。こういう連中は破壊する力はあるが、未来を創造する力など無い。「ジャイアン」のようなボス猿に翻弄され続けている。受難の時代である。平和は遠い。ドラエモーン!

 

多数は正義というフレーズで、嘘で塗固めた話を、見抜くための努力が必要だ。運命ではなく実力で、他人任せではなく自力で、空想ではなく創造で、非科学ではなく科学的に。

 

肝はたった一つ。世の中に発信しようとする連中は、私も含めて必ずウラがある。特に猜疑心の強いサルは、同じパターン同じフレーズを繰り返す。挙句の果てに嘘を塗り固めて大きな石棺を築こうとしている。文明発祥のころと何も変わっていない。

これは見たわけではなく、描写に関してはイランの女子会に参加した女性から聞いた話を交えてのことになる。

 

イスラム教では、夫や親兄弟以外の男性に髪の毛を露出してはいけないという決まりがある。その手法は様々だ。男女が同席する場合は、大都市と地方都市との差異はあるが、基本的にそのルールは今でも守られている。このルールだが、各自の判断という国(地中海地方)もあれば、絶対厳守が義務付けられている国(アジア・アフリカ諸国)もある。

イランでは見知らぬ男女が同席する(婚活)パーティーは存在しない。今はラマダン(断食月)なので、通常は毎晩親族が集まり楽しい夕餉の会が開かれる。大きな屋敷であれば部屋を分けて男女別々の夕餉の会となる。断食とは言っても、日没から日の出前までは食事ができる。そんな訳でラマダンは連日が宴の楽しい行事だ。残念というか悲しいことに、今は戦争でぶち壊されてしまった。

 

女子会の中身に触れよう。女だけの宴は大音量のダンスパーティーとなることはよくある。大胆なハイバックのドレスを纏い、老いも若きもリンディホップならぬ陽気なステップで踊りだす。結婚式や誕生日でも、お祝い事なら女子会(ダンスパーティー)は必然だ。

男の集まりは少々地味で、リュートやパーカッションの楽器演奏でステップを踏むが、しかし対照的でシャイである。

 

さてカルチャーショックを受けた知人女性、感想は「すごい!」の一言。背景を説明しながら聞いてみる。大方想像どおり、日本でイメージする「天岩戸」の少しおとなしい?といった感じになる。これをフラストレーションの爆発と思うだろうが見当違いだ。

若い女性はバリバリのメイクで妖艶なダンスを踊る。何故か?そこに参加している母親たちにアピールする。母親たちは踊るだけではない、実子や親類の子供の結婚相手の品定めもある。男女の自由な出会いが認められないイランでは、子供の結婚相手を探すのは母親たちの務めだ。出逢いの方法は他にもあるが、パーティー会場参加者なら気の知れた仲間で、身辺調査を依頼する必要はない。この20年間で人口が約2000万人(7500万→9500万)も増えたイラン。いまでも興信所は成長産業だろう。

マルコポーロの東方見聞録に暗殺教団という物語が登場する。タイトルは「山の老人」(アラムート)だ。現在のイランをファーティマ朝が支配していた時代〔平安から鎌倉〕になる。歴史的に実在した神秘主義教団イスマイール派のことだが、物語とは大きく違っている。東方見聞録はダマスカスで見聞きした与太話だったという指摘を多少は組み入れて、あくまでも物語だ。

この物語の中で二つの言葉がヨーロッパへ伝わった。ひとつはアサシン(暗殺者)。もうひとつはハシシ(大麻)である。

 

山の老人(ハッサン・イ・サバーブ)は麓の村々から若い男たちを拉致してきてはフィダーイ(自己犠牲)の戦士を作り上げていた。気絶させられ男が目覚めると女性に抱かれていた。そしてハシシで覚醒させられ幻想的な体験をする。一度味わってしまうと虜になる。そして老人の戦士となるために垂直的なエリート教育を受ける。彼らは、王宮や軍隊のルール、秘書としての高度な知識を身につけ、キャリア公務員へとリクルートしていく。ターゲットとなるのは要人だ。宰相、裁判官、大臣、軍人、聖職者が白昼の大通り、しかも一般の人々の目の前で、側近によるナイフの一突きで殺害され、側近もその場で殺される覚悟だ。要人暗殺事件が多発し王朝も、そして遠征十字軍も恐れたという。(似通ったゲームソフトがある。)

 

歴史的には、神秘主義教団イスマイール派が約160年ほどイランとシリアに10数カ所の山城を築いて勢力を誇っている。ファーティマ朝も十字軍も何度も攻略を繰り返したが一つの城も落とすことはできなかた。その後モンゴルの遠征で山城は全て破壊された。

山の老人は、それから200年ほど経過してのおもしろおかしく脚色された物語ということだ。

 

イスマイール派は現存する宗派でシーア派に分類される。山の老人は与太話の世界だが、史実だと解釈している人々がカイロにはいる。シーア派は不道徳だ!と罵る。イスマイール派はカイロから分派して誕生した。異端というイメージがある。老人が戦士を育成するプログラムをシーア派の起源と解釈している。無理無理の都市伝説だ。

 

山の老人の遺跡?というかアラムート山に行ったことがある。イランの首都テヘランから西へ州都カズヴィーンから北東に直線で40キロあまり、標高3000m級の山々が連なるアルボルズ山脈を背負った堅牢な山城跡であった。当時は訪れる人はなく大きな祠(ほこら)が2カ所あり、陶器の破片などが散乱していた。日の出前に車でテヘランを出発しカズヴィーンから片道5時間半、道なき道を地図もなく方位をたよりに、途中で尋ねても誰も知らない。GPSも無い時代の思い出だ。テヘランに戻ったのは未明となった。